妖花
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……時は少し遡る。
壁に耳あり障子に目あり。
妖花屋の帳に手を伸ばし、菊之助は一歩、二歩、三歩と後退した。
妖花屋の中から、成熟した麗しい女の声がしたからである。
その艶めかしい声色にうろたえながらも、菊之助は聞き耳を立てるのだった。
(女だ。女がいやがる)
いや、確かに段田や春芝ほどの容姿の男、江戸の女どもが放っておくはずもない。
彼女らは繊細な美貌の男を、張りと男気溢れる粋な男の次に好む。
しかし、段田は人の眼には視えぬはずだ。
春芝もおそらく悪魔なのだろうから、段田と同様に不可視なはずである。
(もしかして、視える奴なのかな?)
何人かに一人は人外のものが視えると云うし、中にいる女がそれであっても、おかしくはない。
「それにしても、人外のもののくせに、わっちに色目を遣わないなんて、変わり者だこと」
女が言う。
どこかで聞き覚えがある。
女のそれが、いつしか聞いたはずの声の余韻と重なった。