妖花
しかし、菊之助はその事よりも、女の発言が気になって仕方がない。
しかもその直後。
「私は色情絡みの事には奥手でね」
女の話し相手は段田であるらしい。
(し、色情だって?奥手だって?)
耳を澄まし妖花屋の壁に寄りかかっていた菊之助は、腰をかがめたまま硬直した。
色恋絡みの話なのだろうか、と。
(いや、でも。
旦那なら不思議じゃない、か)
彼らのどこか大人びた婉然な会話は、うぶな菊之助に大いなる動揺をもたらした。
色の話など構わず妖花屋に堂々とお邪魔することもできたろうが、それをしてはなんだか申し訳ない気がした。
(ちぇっ。
色男め、かっこつけやがって)
人が出入りする場所で、女と変な話なんかするなよ。
と、菊之助は毒づく。
今日はやめておこうか、と妖花屋を後にしようとする。
が、体が石像のように固まってしまっていた。
どうにもこうにも気まずくて、中に入ることもその場を去ることもままならぬ。
やはり、ここはそしらぬ顔をしてさるべき、だ。
そう菊之助が決断した頃。
「わっちら毛女郎はねえ、昔っから男の妖どもの色目の的なのさ」
女は、毛女郎、と清かに言った。
それを耳にするや否や、菊之助をいじめていた熱は、一気に爪崎へと降下した。
(毛女郎!)
女は昨夜、吉原にて一戦を交えた、あの毛女郎だったのだ。
そう考えてみれば、女の声はあの毛女郎のものに酷似している。
(よかった。
入れ物に閉じ込められてたけど、声は元気だ)
菊之助は板のように固く薄い胸を撫でおろした。
「南蛮の妖の好みじゃ、無いだろうけどねえ」
毛女郎は、一時は拘束されていたわりに余裕があって調子が良い。