妖花
不忍池にて。
男女が神隠しに遭った話。
気楽な江戸の町人たちを騒然とさせた、怪事。
菊之助はそこで、己の頭が回る限りで仮説を立てた。
もしやその消えた女こそが、不忍池で客取りをしていた毛女郎ではないか、と。
しかし、そう考えると矛盾点が生じる。
これは菊之助の知識にはないことだが、神隠しとは単なる拉致ではなく、物の怪の類が人を神域へと連れ込むことを指す。
毛女郎が神隠しに遭ったとしたら、彼女は吉原にはいなかったろうし、ここに居るはずもないのだ。
しかし彼女は今、この壁一枚挟んだ所に居る。
そしてもう一つの矛盾。
神隠しに遭ったのは男女二人。
毛女郎を女の方とするならば、男の方は、おそらく毛女郎曰くの『煙のようなものを纏った男』だろう。
その男は、いったいどこへ失踪したのか。
茶屋の管理者に姿を見られず、どうやって行方をくらましたというのだ。
これは、人知では解明できぬ謎。
菊之助はとうとう頭を痛め、考えるのを止めて毛女郎と段田の会話に集中することにした。
「ありゃあ、絶対に妖術かなにかだ。
もう髪で身を守るのが精一杯だったよ。
それで」
「運よく逃げおおせた、というわけか」
なるほど、逃げてきたから助かったのか。
謎が一つ解決して、菊之助は顎をしゃくる。
「それからのわっちゃあ、もう散々よ」
毛女郎はその後、命かながら吉原に逃げ延びたものの、
人からは気味悪がられ、挙句の果てには客でもない少年侍に斬られかける始末であった。
(なんだか、俺が悪者みたいじゃないか)
菊之助は栗鼠のように両頬を膨らます。
「奴あ、おっかない男だよ」
毛女郎は言った。
「狂気たあ、まさにあれのことだね。
背筋も凍る低い笑い声……」
女のような真っ白い肌。
高い鼻。
栗色の頭髪。
段田と同じ面妖な髪型。
毛女郎の目撃談で形となってゆく男の容姿はやはり南蛮人特有のもので、段田と似通った部分もある。