妖花
「それは気の毒だ……」
「わっちだけじゃないさ。他の妖や、人にも、その煙の男にやられた奴はいる」
襲われたのは毛女郎一人ではない。
それを聞いても菊之助はあまり驚愕しなかった。
なぜならもう既に、古着屋の店主が神隠しに遭ったからだ。
どこぞの野盗にでも攫われたのだろう、と言ってしまえばそれまでだ。
が、この古着屋失踪事件においても、人々の疑いの矛先は、まっすぐに神隠しという怪異へと向けられているのだった。
以前にも人が忽然と消えたのだから、今回の古着屋の件も、神隠しに違いない、と。
「不忍池あたりに住む妖どもは、もうとっくに山か上方に逃げてるだろうさ」
“神田に柳橋、不忍池あたりの妖どもも、でかい奴小さい奴、みいんな怖がって逃げちまったのよ”
“真っ黒い煙みてえな野郎が、仲間を攫っていきやがった、と言う奴もいる”
あの鳥頭の妖も、そういえば毛女郎と五十歩百歩なことを言っていた。
妖を震えあがらせるほどのもの。南蛮人風情の、人外のもの。
黒煙を纏った恐ろしいもの。
(いったい、どんな化けもんだろう)
直接会って尋常に勝負してみたい、と望むほど菊之助は命知らずではない。
ただ、斯様に面妖でかつ物騒なものがこの江戸に潜んでいるとあっては、放っておけぬ。
いつ自分が、自分の身近な人がその毒牙に噛まれるかわからぬからだ。
危険因子を傍に置きたくないと思うのは、世の常、人の常。
江戸の町は年中火の用心だが、加えて妖の用心も必要になりそうだ。
用心、しなくては。
菊之助は刀の柄に、親指の腹で触れた。