妖花
「正しい判断だ」
段田が言った。
「勝算もなく戦うよりも、とっとと逃げたほうが、誇りはないにしろ長生きはできる」
段田は日本人の姿をしていても、所詮は南蛮者。
武士の誇りなど彼らからすれば無価値なものなのだろう。
菊之助もそれは承知していた。
していたが、ただの浪人にすぎぬはずの菊之助は、即座に異議を唱えたくなった。
菊之助は由々しき武家の生まれではない。
父も、剣術の腕があっただけの浪人だった。
とはいえ、菊之助とて侍である。
侍として恥ずべきことは何かを、心得ているのだ。
命を顧みるのは悪しきことではないし、菊之助だって命は銭よりも惜しい。
しかし、敵に屈伏してでも、羞恥を晒してでも生きたいとは嘘でも言えぬ。
(でも、例外だってあるんだろうな)
例えば、そう。
身内や親友を人質に取られて、味方にならねばこやつを殺す、などと敵に脅されたら……。
菊之助には、それでも戦い抜ける自信がなかった。
「妖も命が惜しいという事さ。覚えておきたまえ。
……そこで聞き耳を立てている子供侍よ」
びきっ、と菊之助の額に、三つの角が向き合った怒りの印が現れる。
そして間一髪もあけず、狂った熊のように妖花屋へ飛び込んだ。
「誰が子供だーっ!」
怒気をみなぎらせた菊之助を見ても、人外のものの二人はぴくりとも動ぜぬ。
段田に至ってはむしろ予知どうりだとばかりに、
「ほら来た」
と菊之助を指差す。
「おや、昨日のお侍さん」
ぽつりと呟く毛女郎をよそに、菊之助はさっそく段田にくってかかった。
「お前なあ、俺の前のみならず、知らない人の前でも俺を子供呼ばわりしやがって!」
「他人の前であろうと君の前であろうと、君が子供という事実には砂一粒ほどの変動もないね」
段田が胸を反らせて腕を組み、鼻を鳴らす。