妖花




 草花売りのすぐ後ろ、鍛冶屋の店の陰に腰を据えていた黒猫が、にゃあ、と鳴いた。


「うむ。どうもありがとう、黒猫のお嬢さん」


 段田は黒猫に手を振った。

 前を歩く菊之助は、振り向きざま黒猫に一瞥をくれる。

ああ、確かに可愛らしい猫だなあ、と和んで顔をほころばせた。

素直に可愛い猫だといえばいいのに、菊之助は悪し様というか口が悪い。


「なんだい旦那。

雌猫に惚気てたのかよ。

春芝が泣くぜ、そんな女たらしじゃあ。

俺よりも女が先かよう、ってさ」

「私は色情には奥手だと言ったろう。

それに私は、猫とそんな猥談を交わしていたわけじゃない」


 いつになく段田が低く唸った。

 これはどうやら、からかってはならぬ事のようだ。

菊之助はそれを悟り、段田を離した。


「ちょいと待てよ、旦那って猫と話せるのかい?」

「猫だけじゃあない。

犬に蝙蝠、狼や山羊や蛙、あと梟や鴉とも話せるな」

「それも、魔法とかいうやつか。

それで、あの猫と何を話してたんだ」

「聞きたいかい?」

「おう」


 菊之助は焦燥感で刀の柄を忙しなくいじくりながらも、冷静さを保って答えた。


(なにか物騒なものが関わってるのかな)


 菊之助の、女の勘ならぬ侍の勘が、段田の語気からそう判断した。


「百舌」 


 真顔になった段田の口から、最初に出た言葉がそれだった。

 百舌のさえずる声には、気を付けろ。

 そういえば、毛女郎もそう囁いていた。

 いずれも、その名を口にした時の二人の雰囲気は、おもむろであった。


「あの黒猫は昨夜、はるばる柳橋の方からここまで逃げてきたらしい」

「柳橋」


 鸚鵡返しをし、あっ、と菊之助は瞠若した。













< 80 / 143 >

この作品をシェア

pagetop