ナイチンゲール誓詞
「点滴を交換させてくださいね」

小さく、お願いしますと言う声に、昼間とは違う響きを感じる。


「眠れないですか?」

『昼間、寝過ぎたのよね』


日勤からの申し送りでは、寝ていたという記録はなかった。
車イスで外来ロビーに行き、文庫本を読んでいたはず。


「ずいぶんとたくさん、本を持ってきてるんですね」


彼女は、ふふっと小さく笑った。

『買った本は全部お気に入りなの』


点滴の落ちるスピードを調節しながら、続きを聞く。


『最期に、もう一回全部読んでおきたくて』


彼女は静かに言った。
――― 最期に、と。


「全部読んでいたら、50年くらいかかりますね」


わたしの言葉は、彼女に届いただろうか。



『ミステリの途中では、死ねないわね。ラストが気になって成仏できないものね。』


「仏教徒でしたか」

患者情報の信仰の欄を思い出しながら尋ねると、また小さく笑った。


『いいえ』

やっぱり、と二人で笑う。
夜の廊下に響かないよう、小さく、小さく。


< 3 / 4 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop