Songs
もう恋なんてしない


朝目を覚ますと真っ先にテーブルに用意される入れたての香りのいい紅茶。
今日からは、それがない。

仕方なくキッチンへ向かいヤカンに水を入れコンロで火にかけた。
「紅茶、紅茶っと。」
独り言がいやに響く。
「どこにあるんだよ紅茶…。」
自分で朝の紅茶を用意したことが一度もなかったことに今さら気が付く。
紅茶の在りかを聞く相手もいない。
わざわざ紅茶を買いに出るのも面倒だった。
溜め息を一つ吐きコンロの火を消す。
「仕事しよ、仕事。」
自分に気合いを入れ書斎へと向かった。

パソコンを起動させ編集者からのメールに目を通す。
重要なものがないことを確認して書きかけの原稿のデータを開く。
こんなときに限って恋愛のコラム。
「人様に恋愛やら失恋やら、偉そうに語れる立場じゃないっての。」
煙草を一本手に取り火を着けると、それを思い切り吸い込み天井に向かって煙を吐いた。
「サヨナラの一言じゃお前の気持ちなんて何も分からないんだよ馬鹿。」
煙と共に、言葉も天井に呑まれていった。

悶々としながらも書き上げたコラムの原稿をチェックする。
誤字脱字なし、と。
そういえば朝飯がまだだった。
重い腰を上げ、遅めの朝食の準備に再びキッチンへと向かう。
料理くらいできる、何度かしたことがある。
「…不味くはない。」
でも、美味くない。
また溢れる溜め息。
これくらいのものしか作れない奴がやれ味が薄いやら、食べられない野菜があるやら文句ばっかりだったって訳か。
愛想尽かされて当然ってとこだな。

片付けもそこそこに洗面所へと向かう。
嫌でも目につく2本の歯ブラシ。
君の居た証。
いちいち感傷的になっている自分が癪に障った。
「全部…棄ててやるよ。」
手始めに目の前の歯ブラシとメイク落とし、洗顔料。
風呂場のシャンプーとトリートメント。
ごちゃごちゃと腕に抱えたままリビングへ行くと、ごみ袋を引っ張り出しそれらを躊躇なくその中へと放り込む。
引き出しの中やテーブルの上、色々な所を漁ってはごみ袋へ。
その数が増えれば増えるほど心が強く締め付けられて涙が零れそうになる。
誕生日に貰った洋服を片手にクローゼットの前、膝から崩れ落ちた。
「情けない男だよな。幸せにしてあげられなかった女の跡をすっぱり全部棄てて自分だけ楽になろうだなんて。」
自嘲気味に笑うと、ごみ袋の中身を元あった場所へと戻していった。
自分への戒め、彼女を傷付けた罰。
そんなのはただの綺麗事。
本当は、脱け殻だろうと何だろうと棄てきれない彼女への想いと共にまだ彼女を感じていたいだけ。
全てを元に戻し終わったとき、不思議と幸せだった。もう少し、このままで。

思い立って書斎へ戻ると先程のコラムのデータを開いた。
そして最後の行に言葉を足す。
"もう恋なんてしないだなんて言わず新しい幸せを見つける。それが失恋からの第一歩ではないだろうか。"
そう加えるとそっとパソコンを閉じた。
彼女とは見つけることの出来なかった分の幸せ、それはきっと次の…彼女の知らない誰かと、必ず見つけて見せるから。

「さて、紅茶買いに行きますか。」
家の鍵をくるくるっと回しながら玄関のドアを開ける。
「これも新しい幸せへの第一歩。」
潤んだ瞳で見上げた空はいつもより綺麗だった。


Fin.
< 1 / 1 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

公開作品はありません

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop