黄色い線の内側までお下がりください
警笛は鳴らなかった。
油の効いていない機械がみしみしと音をたてて動くように、あざみもまた小刻みに体を震わせ、
顔を上げた。
「...っひぃ...」
息を吸い込みながら発したことばは、ひぃという呼吸音にしかならなかった。
目と目がぶつかり合った。
確実にあざみは富多子に狙いを定めていた。
右目はしっかりと富多子をとらえ、左目は黒目の位置を正確な位置に戻そうと、眼孔の中でくるりくるりと回っていた。
回るたびに目の際からはどくどくしい黒い液体が流れ落ちて、あざみの胸元に黒い染みをつけた。
白装束のあざみは左胸辺りを真っ黒く染めて、定まらない目を向ける。
さきほど富多子がしたように、骨が見えている自分の手を左胸に置いた。
真っ白い腕から骨のように細く伸びた腕、その手の先にある爪は、茶色い。
長く鋭い爪を曲げながら富多子へと腕を伸ばし、唇の両端を不自然に上げた。
耳まで裂けた口からはボトリボトリと赤黒い肉の塊がこぼれて、胸元に溜まった粘り気のある液体の上で揺れた。
細切れの内臓が口から溢れだし、胸元に落ちる。その肉片を震える手ですくい、また自らの口に押し込んだ。
口の回りを黒くしたあざみは、『富多子ちゃん』と言うような口の形を取って、視点の定まらない両目を見開き、口を思いきり開けて不気味な笑顔を作った。
その直後、ホームに入ってきた電車に撥ね飛ばされたが、電車は止まることなく突き進んだ。
肩で大きく呼吸をする富多子の全身は震え、腰が抜け、その場に座り込んでしまった。
傍らには健気にも大梯がいて、小刻みに震える富多子の背中をさすってやっていた。