CINDERELLA STORY~貴方に巡り会えた奇跡~

Reencounter

RURI

モデル時代からの名のまま、歌手としてデビューしたのは18歳の時だった

最初は全米チャート10位

モデルとしての人気と、興味からかデビューとしての出だしは好評だった

しかし、次の曲

また次の曲

順位は低下していった

そんな私に、マネージャーであるジェニファー・ロイが作詞作曲をしてみないかと言ってきたのは20歳を迎えたばかりの4月の事だった

ダメもと

って言うより、大学進学さえしなかった私は、このまま終わる訳にはいかないって必死になって詞を考えた

溺愛する両親と兄達

私には無理だし、私を家に閉じ込めておきたい

そう望んでいる家族に対しての意地もあった

だから必死に詩をノートに書き綴った

まぁ~、あまりに詩ばかりに拘ってしまった結果、作曲までは手が回らずにいたんだけど、私の作詞を見たジェニファーは大きく頷き、OKサインを出してくれ、マックス・ローゼイに作曲を依頼

そしてPartinh aesthetics(別れの美学)と言う曲が完成したのだった

初めての作詞

そのPartinh aestheticsが全米1位を獲得すると、それを切っ掛けに出す曲が全て1位になり、時にはハリウッド映画に主題歌になったりして、歌手としての地位を揺るがないものにしていったのだった

あのPartinh aestheticsを発売してから1年が過ぎ、私は21歳へと成長したが、私の歌が売れれば売れる程、生活は急激に忙しさを増していき、パパラッチやファンから身を守る為にSPが私を常に警護し、最早自由って言葉がなくなってしまった


【ジェニファー
 そろそろ、休みが欲しいなぁ~】

【何を言ってるの?
 瑠璃のスケジュールは1年はギッシリと埋まってるのよ!!
 それと、日本のコンサートの前には日本のTV出演も決まってるし、久々の日本だからって休みはないわよ】

【はぁあ~
 でも、ホテルなんかヤダからね!!
 日本に帰国したら、お爺ちゃんとお婆ちゃんの家に滞在するからね!!】


マネージャーの言葉に、私は大きな溜め息をついて見せながら、絶対に譲らないとばかりに祖父母の家に滞在すると言い放ったのだった

ってか、1年間も休みがないって‥‥

去年だって休みと言う休みがなかった

勿論、全くないって訳じゃない

限られた時間内でショッピングに行ったり、友人と食事したりする時間くらいはある

でも、それは私の望む休みなんかじゃない

時間を気にせず、楽しみたいじゃん!!


< 3 / 132 >

この作品をシェア

pagetop