イキリョウ
観に行こうねと言いながら行けなかった映画のDVDを借りて、大好きな塩バターポップコーンとポテトチップスを溶かしたチョコレートにつけたお菓子を小さなテーブルに乗せて二人並んで観る幸せを噛み締めていた。お酒にに強くない卓は缶チューハイを半分残してDVDに見入っている。缶ビールの二本目をプシュリと開けると缶から冷気が立ちのぼった。ゴクリゴクリと飲んでお腹いっぱいだなあと思いながらポップコーンに手が伸びる。
金曜日。明日は休みだ。
「なんだろ、加奈子、なんか良いにおいがする。」
DVDが終わりかけた頃、卓が唐突に言った。くんくんと鼻を鳴らしながら半乾きになった髪にタオルを掛けた加奈子をソファーの下で組み敷いた。タオルが卓の頭に掛かる。卓はタオルをぬぐいながら膝で立ち上がった。そしてタオルに顔を埋めて小さな掠れた声で「これだ」とつぶやきタオルをソファに放り投げると卓はそのまま加奈子を抱いた。
ラグの上で小さく喘ぐ加奈子に、卓は優しく声を掛ける。
「せなか、いた くな い・・・?」
「ん」
加奈子の身体のおもてに何か記しでもあるみたいな口付けの仕方で加奈子を愛する卓は、自分と同じシャンプーの香りをさせて異動していく。その髪が身体を撫でる。卓の舌が脇腹を這いながら
「ねえ、」
と加奈子に呼びかける。
「うん?」
「後ろからしていい?」
加奈子はいつもと違う卓を発見する。どうしたんだろう、と思う。恥ずかしいから、とかではなくて、こういう行為の最中にそういう積極的なことを言う卓に見覚えがなかった。躊躇いを見せた加奈子の耳元に顔を寄せた卓が掠れたような、押し殺したような声で言う。
「うしろも好きなんでしょう?」
(な・・・に・・・?すぐる?)
卓は加奈子を裏返すようにして腰を押さえて、侵入を開始する。加奈子の腰を押さえつけて身体を打ちつける卓はどこか違う人のようだった。卓の腕が加奈子に巻きついて、加奈子の半開きになった唇に卓の指を入れる。
加奈子の脳裏にフラッシュバックするのは、白木の男らしい長い指だ。少し節のある、長い指が、いつもそうやって加奈子の口元を濡らした事を、加奈子は思い出す。
卓の細い指があの日の白木のように加奈子の口の中を弄(まさぐ)る。
「・・・・な・・・こ」
耳元で卓が呼ぶ。加奈子の口元を濡らしながら、そして、耳に齧りつく。耳たぶを齧って、舌を入れる。加奈子は呆然としていた。舌の熱さを感じる。加奈子の脳の中で、白木の声が聞こえた。耳に舌を入れた後に必ず呼ぶ白木の声。
(かなこ)
「か・・・、・・・こ」
(か…?誰…?)
温かい、あるいは熱いほどの卓の迸りを背に受けながら、加奈子の背筋を冷たい物が走る。そして次々にフラッシュバックする。
半開きのダンボール、転がったピンクのボトル、タオルに沁みついたジェルの香り・・・。そうだ、あの香りは、あの頃白木からたまに香った匂いだ。
(どうして?)
『加奈子、今日は先輩と呑みに行くから』
『酔っ払っちゃって先輩の家に泊めてもらっちゃった・・・』
『先輩がさ・・・』
『先輩がね、・・・・』
『カ ズ ヒ コ』
(卓?先輩って…?)
『ねえねえこの前さ~、白木部長のこと新宿で見かけたんだけどさあ・・・』
聞かなかった話の続き。
重なる甘い香り。
いま加奈子を抱くのは凍りつきそうなほど冷たい疑念だった。
終わり