イキリョウ
妊娠5ヶ月に入ったばかりのときだった。寒い季節ではあったけれど、そろそろ春も来ようとしている3月。酷く寒かった。明るく柔らかい春の日差がそこここに伸びてくるのに、身体の芯から冷えるような寒さが加奈子の内側にあった。靴下を重ねても、セーターを重ねても寒い。ベッドの中でぼんやりと寝たり目覚めたりしながら、夕方近くになって不正出血していることに気づいた。流産だった。
『嬉しい、というよりも、不安だ』なんてそんなことを思っていたからバチがあたったのだろうか。それでも最近やっと大きくなってきたお腹を見るとああ、母親になるのだ、と温かい気持ちになっていたのに。自分の中に息づいた命を繋げることができなかった哀しさは直ぐには襲ってこない。流産の後の手術はごく事務的だった。手術が終わったのが夜半前だった。急いで駆けつけてくれて待っていてくれた卓が手を握ってくれた。まだ麻酔が効いていてぼんやりする頭でこの人の子だったのだと思った。
転勤の日が迫っていた。後から来てくれたらいいよ、と卓は言った。
「加奈子の傷を癒すのは、僕の役目だという気もするんだけど、昼間は仕事に行っちゃうんだし、おかあさんたちの側にいる方がもしかしたら加奈子も安心だし気持ちも紛れるじゃないかな、って思う。加奈子が楽な方を選んで」
この先何十年も卓と一緒にいるのだから、今は残ってもいいのかな、という気がした。新婚の自分なのに初々しい奥さんでいられるほど若く無邪気な訳ではなかった。新しい環境に慣れることと、卓の子どもを喪ったこと、両方をいっぺんにというのは今の自分には難しいから、そんな風に言って彼を送り出し、その後も何となくズルズルと単身赴任にさせたまま3年間も結局大阪には行かなかったのだ。知り合いのいる会社で事務を手伝ってほしいと言われて手伝ったり、両親の側で自由な暮らしをしているのが居心地が良かった。卓は責めることを言わなかったし、加奈子がそれでいいなら、と本気で思っているようだった。もちろんたまに大阪に行った。彼も東京に帰ってきて週末を過ごす事もあった。まるで遠距離恋愛みたいだった。そんな3年間。