四竜帝の大陸【赤の大陸編】
第二十話
「見ろ、りこ。少々話をしている間に、全て消えたぞ?」

 我の身を傷つけたことを気に病むりこに、傷が治ったことを告げると。

「え? そうなの? 良かった~」

 りこは安堵したのか、表情をゆるめた。
 その顔を見たら、身の内からがじわりと何かが湧き上がり……愛情と欲情の混じり合ったそれに、我は逆らわず、流されることにした。

「りこ。りこ、りこ……」
「ッ!? ハ、ハハハハクちゃん!? まさか、またっ!?」
「そうだが。なにか不都合で……」

 ……………ん?
 声。
 この声は、竜族のみに聞こえる周波数……歌?
 歌っているのは……この声は、<赤>だ。
 我に聞こえるよう、わざと大声でこちらに向かっているな。

「ちょ、ちょっと!? ハクちゃん、待っ……」
「りこ、待て」
「へ? 待ってはこっちの台詞って言いますか……どうしたの?」

 寝台に流れる黒髪を一房手にし、唇で触れながら我は言った。

「<赤>が来る。我は行く。りこはここで待て」
「え? ハクちゃっ……」

 目を丸くして我を見上げるりこを残し。
 我は転移した。

「そこで止まれ」
「きゃ!? ちょっ……いきなり、危ないわね! どいてちょうだい、ヴェルヴァイド。私を部屋に入れない気なの!?」

 入室させぬように、りこのいる室内へと続く扉を背に立つ我に<赤>は言った……<赤>は銀製のトレーを両手で持ち、背の翼を動かし、赤い鱗に覆われた尾を左右に揺らしていた。

「…………何故竜体なのだ?」

 <赤>の竜体は、色はダルフェと同じだが。
 大きさは我の竜体と全く同じ……りこが最も好む、“抱っこ”に適した大きさだ。
 りこは鱗を好み、そして『竜』の姿形を好む。
 それを<赤>は知っている。
 ……口の軽い<青>が、<赤>と<黄>にそれを教えたからだ。

「こっちのほうが移動時間が短くてすむからよ。ほら見て、美味しそうでしょう? 私の可愛いダーリン、エルゲリストが作ってくれたの」
「…………」

 <赤>の持つ銀のトレーの上には。
 半分に切り、具材をはさんだ丸みのある我の拳ほどの大きさのパンが5個。
 それと、蓋の付いた楕円形の白磁のスープ皿。

「……りこに“あ~ん”するのは久しぶりだ。腕が鈍っていないと良いのだが」
「“あ~ん”? ……あぁ、噂の愛の給餌行為っていうやつね? <青>には聞いていたけれど……付き合うトリィさんも大変ねぇ」

 りこのために用意してあった軽食をとらず行為に及んだので、放置時間が長くなったそれを新しいものと替えるために<赤>が来たのだと我にも容易に察せられたが。

「スープが冷めないよう、急いで飛んできたの。うふふっ……だから私は竜体なのよ?」

 内心が言葉と異なることを隠す気が全くないのだろう。
 我を映す赤い目玉が、その思考をうけて愉しげに細まる。

「それよりも、貴方のその姿はなんなの? 人前ではきちんと服を着ないとトリィさんに怒られるわよ?」

 全裸でいようが我が羞恥心を持つことはないが、りこに怒られるのは嫌いではないがまずい。

「……」

 我は先ほどりこが選んでくれたレカサを脳裏に浮かべ、術式で身に着けた。
 ……衣類を身に着ける練習は、次回からだな。

「着たぞ。これで文句はあるまい。<赤>……ブランジェーヌ、その姿でりこに何を乞うつもりなのだ?」

 スープが冷めるからなどと、見え透いたことを言いおって……スープ皿の下に保温用の温石が敷いてあるではないか!
 温石と鍋敷きの違いくらい、我だって知っておるのだ。
 ……知ったのは、りこと暮らすようになってからだがな。

「あら? 意外、温石を知っていたのね」
「言え。りこになにをさせる気なのだ?」

 <赤>に竜体で“お願い”をされたなら。
 りこは容易に陥落するだろう。
 忌々しいが、事実だ。

「なにをさせる気かなんて、大げさね。ただ、トリィさんにべったりの貴方を“お仕事”へ送り出してくれるように協力を御願いしようと思っていただけよ? ふふっ。貴方が私と伝鏡の間に来てくれるなら、私は竜体で彼女の前に出るのは今後はしないであげるわよ?」
「……」

 伝鏡の間?
 お仕事?
 ああ、そういうことか。
 我は四竜帝に用件など無いが、四竜帝達にはあるのだろう。
 あれ等は我に用があっても、我には無い。
 なによりりこと離れるのは、我は“とてもとても嫌”なのだから。
 ゆえに。

「我はいかぬ」

 “お仕事”ということは……<ヴェルヴァイド>だけでなく、<監視者>としての我にも用事があるのだろう。
 だが、今現在異界の生物が誤って落とされた“感じ”は無い。
 したがって、<監視者>の“お仕事”は無い……はずだ。

「やっぱりね。……だからトリィさんに協力してもらおうと思ったのよ。蜜月期である貴方がトリィさんから離れるのが嫌なのも、第二皇女の件があった後だから彼女の安全面に関しても必要以上に過敏になってしまうのも、充分に分かっているわ……」

 <赤>は紅玉で作られたかのような歯が覗く口元から深い息を吐き出し、続けた。

「でも、ここは安全なのだから大丈夫よ? 私の竜騎士達が帝都も城も警護しているのだし……」

 <赤>のその言葉は、人を模した我の皮膚の裏側をざわりと撫でた。

「…………ほう。大丈夫……だとお前が・・・言うのか?」
「ヴェルヴァイド? どうし……!?」

 我は左手の中指で。
 <赤>の眉間に触れた。
 同時に、触れた眉間から全身へと<赤>の鱗が音も無く波立つ。

「ヴェッ……ルヴァ……イドッ」
「カイユに廃棄を薦められるようなお前の“駄犬”共が“大丈夫”だ、と?」

 正しくは、赤い鱗に触れたのは指ではなく我の爪。
 それは、切先。

「……ッ……それって、私への嫌味かしら?」

 我が望めば刃となる我の爪。

「嫌味? 違う、事実だ」

 少々伸ばせば、易く<赤>の頭部を我の爪が貫くだろう。

「……無自覚な天然系サディストって、本当に嫌ね。お前だって、そう思うでしょう?」

 人型の時と違い睫毛の1本すらない<赤>の目の際がくりぴくりと動き、赤い目玉が右へと視線を向けた。

「にやけてないで、出てきなさいダルフェ」
「……は~い」



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