四竜帝の大陸【赤の大陸編】
第二十一話
 視線の先は、通路の曲がり角。
 赤味の強い石の敷かれた床に、黒い軍靴が現れる。
 蜥蜴蝶を素材に使った軍服は、鮮やかな赤。
 衣装以上に“強い”赤い色をした髪に、少々下がった目じりを持つ鮮やかな緑の眼。

「どうせ気づいてるんだから、もっと早く声をかけてくださいって。まったく、クソ忙しいってのにいつまでこんな所で暢気に話してるんすか? 面白くて、出るに出られなくなっちまいましたよ」

 ダルフェは身を留め置いていた角から出ると歩みを早め、我と<赤>の傍に立った。
 その腰の左にあるのは青の竜騎士であった時とは異なり、細剣ではなく刀。
 通常のものより刀身が長く、鞘も柄も漆黒……鍔のみが、煌びやかなまでの派手な金銀象嵌で彩られていた。

「……」
「あぁ、これっすか? 俺が生まれた時、黒の爺さんが祝いにくれたやつです。好みじゃないんでお蔵入りしてたんですがねぇ、まぁ、使ってみっかなぁ~って……しばらく細剣での“お遊び”は止める事にしたんですよ。……あ~あ~、物騒なことしないでください。相手は孫持ちのばーさんっすよ? もっと労わって接してやってくれると助かるんですがねぇ~」

 言いながら、ダルフェは<赤>の眉間から我の手をはらった。
 その手には、白い手袋。
 ……青の城でのこやつは、素手であることが多かった。
 だが、今、こやつの手には白い手袋。
 そして、“遊び”の細剣を止め刀を帯びている。

「ダルフェ、それはっ…………」

 刀に気づいた<赤>が、何かを言いかけ……それは言葉に、音にすらならず消えた。
 消えたそれは『四竜帝』としてのものではなく、『母親』としてのものだったのだろう。

「……ったく、まぁいいけどね。さぁ、陛下はさっさと仕事に戻る! 伝鏡の間でお待ちの皆さんはぴりぴりしてるし、青の陛下の横には王子様スマイル全快の舅殿まで居て、小心者の俺じゃあの場は耐えられませんって! はい、それかして」

 ダルフェは<赤>の手からトレーを素早く奪うと、それを我に差し出しつつ言い。
 <赤>はゆるゆると首を動かし、我とダルフェを交互に見てから高速で飛んで……伝鏡の間へと向かったのだろう。

「陛下、執務室に寄らないでまっすぐ伝鏡の間に行くみたいっすね。ほら、あんたは飯を姫さんに持っていってやんなさいな。旦那は飯を姫さんに渡してきたら、伝鏡の間で四竜帝達と会ってください。黒の爺さん、まだ死にはしませんが、短時間しか意識が保てない状態なんで急いでください。あんたの好きな“あ~ん”は、晩飯の時にたっぷりできるようなメニューにするように親父に俺から言っておきますから、今回は諦めてくれませんかねぇ?」
「…………」

 何を言われようが、我の答えは変わらない。
 晩飯までなど、待てぬのだ!

「嫌だ」

 我が何日、“あ~ん”をしてないかこやつは理解しておるのか!?

「嫌って……ったく。しょうがねぇなぁ~」

 ダルフェからりこの食事の乗った銀製のトレーを受け取ろうと、我が両手を出すと。
 自分から我に差し出してきたくせに、ダルフェはそれを掲げ持ち我の手から遠ざけた。

「ッ!?……貴様っ、あいたこの手で首を捻じ切るぞっ!」

 言ってから、思った。
 この至近距離でそれしたら、りこの食事が汚れてしまうのではと……。
 むっ?
 ダルフェのやつは我が食事を汚すのを厭いやらぬと分かっているからこそ、このような“意地悪”をしたのか!?

「…………」
「旦那、顔が超怖いっすよ? まぁまぁ、落ち着いて俺の話を聞いてくださいって。俺はあんたと姫さんに顔見せた後、急いで各竜帝用の伝鏡の微調整してたんですけどねぇ、そうしたら青の陛下より先に舅殿がひょっこり顔を出しましてねぇ~」

 舅?
 カイユの父親か。
 どれくらい前になるのか……先代の<青>が、銀の髪の幼竜を連れて城内を歩いているのを、塔の上から見たことがあった。
 そうか……あれが、あれか。
 ……<先祖返り>という貴重な個体を先代の<青>は手に入れ、その個体の娘は<色持ち>をつがいにし、息子を産んだ。
 ならば、その息子は…………それは過去に例が無く、この先も…………。

「待ってましたとばかりにカイユの髪のことや他もいろいろ、ねちねちちくちくぐさぐさ言われましてねぇ。で、その舅殿がそれはもう嬉しそうに、にこにこしながら最後に教えてくれたんですよねぇ……旦那がごねたら、こう言えって」

 思考が“現在”から少々ずれてしまった我を戻したのは、ダルフェだった。
 ダルフェの声、ではなく。
 言葉、だった。



「“『とりい・りこ』からなら、私は奪える”」



「って、舅殿に……セレスティスに言った奴がいるそうですよ?」

 --とりい・りこからなら
 --私は奪える

「………………で?」

 それ言ったのは『誰』だと、訊かなくとも。
 ダルフェは答える。
 それは、我へと用意された『餌』なのだから。
 判っていて、我は喰らうしかない。

「導師(イマーム)です」

導師。
 導師?
 導師…導師、か。

「青の陛下が前に言ってたでしょう? 珠狩りに関係してるらしい、例の正体不明居所不明の術士ですよ」

 訊くまでも無いくせに、ダルフェは我に訊く。

「さぁ、あんたはどうします・・・・・?」
「…………」

 緑の目玉を細めたダルフェが、銀のトレーを左手に持ちつつ片膝をつく。
 恭順の姿勢に似合わぬ鋭い視線が、我を見上げる。

「御指示を。“我が主”」

 我が主、か。
 要らぬ茶番だな。

「ダルフェ」

 ダルフェとカイユ、そしてその息子は我が四竜帝より“もらった”が。
 こやつもカイユも、我を真の“主”とは思っておらぬのだから。
 カイユにとっての主は当代<青>、唯一人。
 ダルフェは……赤の竜騎士でありながら、青の竜騎士でもあったダルフェの“主”は……。

「ダルフェよ。赤の<色持ち>の竜よ」

 ーー貴方に永遠の忠誠を。竜帝陛下を裏切ることになろうとも……。

「お前はりこの傍に」

 セイフォンで、ダルフェは我にそう言ったが。
 それは我を“主”と考えてのものではないはずであり、我もダルフェの“主”になろうとは思わぬ。
 ゆえに我は、言う。
 従属を隷属に貶め、力と恐怖で統べて締め上げる。

「我のりこに何かあれば。カイユとジリギエの四肢を踏み潰し、親の臓腑をお前の顔面にぶちまける」

 我がそう言うと。
 垂れた目尻がますます垂れ、それとは逆に口角が上がる。
 その口からは、ぎりりっと歯の軋む音。

「っ……やっぱりそうきましたか。あんた、それじゃサディスト通り越して立派な鬼畜ですって。ってか、旦那、ジリギエの名前をちゃんと覚えてたんすねぇ……ひとつ言っても?」

 ダルフェの緑の眼には。
 我への怖れも怯えもなく。

「言え」

 あるのは。
 そこにあるのは、熱。
 望みを、願いを糧に。
 足掻き、もがき、四肢が砕けんばかりに生きるからこその……。

「“全部”の片がついたら、旦那に頼みっ…………たいこと、がっ、あ、り……ますっ」

 ダルフェの赤い髪と共に言葉が、息が揺れた。
 外からの乾いた風がそれらを揺らしたのではなく。
 揺らぐ命がその身を、内側から揺さぶったのだ。

「ならば。”その時まで”は生きろ」

 口元の赤を舌で舐めとるダルフェに背を向け、我は四竜帝の待つ伝鏡の間へと転移した。




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