四竜帝の大陸【赤の大陸編】
第三十三話
「…………………まさかっ」

 俺を見下ろす黄金の両眼。
 その眼の中の俺は、なんて小さい存在なのだろう……。
 初めて会った時はちびだった俺も、この人と肩を並べる位に背はでかくなったけれど。
 この人の中では、俺はいつまでたってもあの頃の……独りで死ぬのが怖いと泣く、餓鬼のままなのかもしれない。

「そうだ」

 旦那は。
 自分の血に染まったその手で、俺の髪に触れてきた。

「<黒の大陸>、だ」

 俺の髪を撫でる手つきは、優しい。

「<黒の大陸>っ……の、何処に居るんですかっ!?」

 でも、そこに。

「…………さて」

 “優しさ”など。
 これっぽっちも無いことを、俺は知っている。

「我はとても“ばっちい”ので、風呂に入るのだ」 
「へ? ふ、風呂っ? ……うわっ!?」

 立ち上がろうとした俺の頭を、旦那の右手が容赦無く掴んで後方へ引いた。

「ハクちゃん!?」

 驚く姫さんの目の前で。
 俺は姿勢を直すことも出来ず床を引き摺られ、うちあげられた魚のような無様極まりない格好で旦那を見上げながら叫んだ。

「ちょっと、旦那! 風呂に行くんなら、この手を放しっ……ぎゃぁああっ!? 頭に食い込んでますって! それ以上やると穴開きます! ズボッて脳までいっちゃいますってっ!!」

 ったく、こんなことやってる場合じゃないってのに!
 導師が<黒の大陸>にいるのが分かったんなら、四竜帝を電鏡の間に集めてに報告して、特に黒の爺さんにっ……死にかけてる爺さんじゃなく補佐官に、他の四竜帝から警告と対策を指示しねぇと!!

「旦那っ! いい加減、おふざけは止めて下さいよっ! ……先にすべきことがっ……」
「おふざけ? おふざけ、ではないのだ。お前は使うので“真面目”に持って行くのだ」

 えぇーっ!?
 “真面目”なんすかっ!?
 ならもっと悪いっすってっ…………ん? 
 使うって言いました?

 ==コンコンッ。

 扉をノックする音に。
 俺と旦那は視線を動かしただけ。
 それに応えて扉を開けに行ったのは、姫さんだった。

「あ、はいっ!? すみません、いま、ちょっと大変なことになっ……来て下さったんですね! 赤の竜帝さんっ!」

 そこには、俺の予想通りの人物が居た。
 足音は消していたけれど、気配は消していなかったからな。

「お待たせ、トリィさん。……ちょっと、ヴェルヴァイド! 私の可愛い息子になにしてるのよ!?」

 竜族の聴覚は人間よりずっといい。
 扉の向こう聞いてる時間があったんなら、さっさと入って来いっての!

「<赤>、来るのが遅い」

 相変わらず露出度の高い真っ赤なドレスでご登場の俺の母親は、旦那の言葉に眉を寄せた。

「気付くのが遅れたのは、貴方がこの部屋を<遮断>してたからでしょう!? ヴェルヴァイド、いったいどういうつもりでっ……何があったの? その血っ……まさか、貴方の!? 説明して頂戴!」

 やっぱり、旦那は術式でここを<遮断>してたんだな。
 だから被害が室内だけで……旦那は被害を抑える為にそんなことをするような、“良い人”じゃない。
 母さん……赤の竜帝もそれは分かってるはずだ。

「…………後で、ダルフェが報告する」

 え?
 俺に丸投げ俺かよ!?

「<赤>、りこを連れて行け。カイユにりこに着替えと食事をさせろ。……りこ、ここは見ての通り居住空間として使えぬ。<赤>と行け。我はとても“ばっちい”状態なので、風呂に入ってから行くのだ」
「え?」

 旦那の言葉に、姫さんの表情が曇る。
 そりゃそうだろうなぁ。
 あんなことがあった後に、この人から離れるのは不安だろう。

「でも、ハクちゃんっ……」
「大丈夫なのだ。なんの心配もいらぬ。……さぁ、行け。カイユが茶を淹れて待っているぞ? あの忌々しい幼生と共に、な」

 ああ、カイユね……って、はい?
 ジリギエッ!?
 あいつ、溶液からもう出てきてんのか!?

「え!? ジリ君もっ!?」

 あ~……姫さん、ジリを気に入ってるからな。
 旦那、汚ねぇな~、ジリで釣りやがった。

「…………ダルフェ、報告は執務室でね?」
「え? ああ、うん。了解」

 母さんは何かを悟り、何かを諦めたような微妙な表情を浮かべたが。
 それを一瞬で消し、柔らかな笑みを姫さんに向けた。

「さあ、トリィさん。部屋を移りましょう。ヴェルヴァイドにはダルフェがついてるから、大丈夫よ? 母親の私が言うのもなんだけど、ダルフェは“出来る子”だもの」
「あ、は、はいっ!」

 姫さんは大きく頷いた後。

「ハクちゃん、待ってるからね? ダルフェ、ハクちゃんをよろしく御願いします」
「……あ~……うん」

 俺に向かって、深々と頭を下げたてから。
 母さんの後について、姫さんは部屋を出て行った。

「…………」

 俺は旦那に頭を鷲掴みにされたまま、それを見送り……。

「……ダルフェよ」
「な、なんすか?」

 頭上から降ってきたのは、感情を含まない平坦な声。 

「喜べ。お前に我を洗わせてやるのだ」

 だが、内容は平坦じゃなかった。

「へ? え、ぇぇええっ!?」

 俺が旦那を洗うって!?
 ちょっと、そういうの勘弁して欲しいんですけど!?

「遠慮するな。褒美、だ」

 褒美ぃいいいいい!?

「どこがっ!? いやそれ、絶対罰ゲームでしょーがっ!!!」

 旦那が俺の髪を撫でるなんて奇行に出た時点で逃走すべきだったと、屠殺場に連れて行かれる家畜のように、有無を言わさず俺は風呂場まで引き摺ずられて移動しながら後悔した。

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