花散里でもう一度
茨木にもう一度会いたい。
その一念で、私は茨木と別れたあの場所から離れられない。
それに、伊吹はまだまだか弱い赤子だ。
赤子を連れて道無き道を彷徨うなど、自殺行為に他ならない。
紅竹が泣きながら、爪を剥がして尚堀続けた小さな墓を、私は忘れてはいない。
だから、例え無口で無表情の強面と一緒に暮らすのだとしても…我慢するしかないのだ。
「伊吹が居ないのは寂しいが、仕方ない。狭くてかなわないからな、寝床が藁の上ではどうも身体中痛くなるじゃろ。まぁ、下の家にもちょくちょく遊びに来い。」
そう言って、爺様と婆様は里への道を下って行った。
この三月程、土間の藁に寝ていたのは阿久だが、確かに寝場所にも事欠いているのも確かだ。
その阿久は荷物持ちとして一緒について行ったが、夕方には帰って来るだろう。
…気不味い。物凄く、気不味い…。
別に何が有るわけでも無かろうが…若い男と一つ屋根の下で暮らすだなんて、茨木が知ったらさぞかし怒る事だろう。
でも、本音は怒られてもいいから早く会いたい。
そうこうしているうちに陽が傾き、辺りは夕焼けで赤く染まる。
伊吹を背負いながら夕餉の仕度をしていたら、いつも通りむずかり始めた。
「うっ!あーぅ!」
よだれでべちょべちょな顔で、外を見ながら、まるで抗議するかの様にそのふくふくとした足で背中を蹴って来る。
「わかった、わかった。お外に行こうな。」
粗方夕餉の仕度は済んだし、炊いた飯を蒸らす時間に丁度いいか。
そう自分に言い聞かせると、伊吹を抱いて山道を、峠に向かい歩き出した。
柔らかな風が頬を撫でる。
鮮やかな夕焼け空を渡る鳥の影を目で追う伊吹。
「伊吹は鳥が好きだなぁ。」
くすくすと笑う私の声に、伊吹は一際高い笑い声を上げた。わざと唾を飛ばし遊んでいる。
「あーぅ!あっ、ぶーっぅ!」
西の稜線に最後の陽光が消える。
茨木も同じ夕陽を見ただろうか、ちゃんと御飯を食べれているだろうか、北の氏族の元へ辿り着いただろうか…たまには私を思い出していてくれるだろうか…。
「茨木に、会いたいよ…。」
無意識に漏れ出た言葉は、自分が思っていた以上に、自分が茨木に溺れていたのだと知らしめる。
私を抱きしめる茨木の腕は、私を傷つけまいと、手加減していた。
鬼の力は人とは比べ物にはならない強さなのだ。
でも、抱き潰す勢いで抱き締めて欲しかった、茨木の思いのままに私を抱いて欲しかった。