花散里でもう一度
夕飯の片付けを終えた阿久は、早々に布団に転がり、しばらくすると小さな寝息を立て始めた。
旅の疲れも出たのだろう。
その大きな身体は、布団からはみ出しかかり、肩が出て寒そうだ。
薄い布団を掛け直してやる。
寝入る阿久は、なんだかあどけなく見えた。
起きて動いている時の威圧感は何なんだ。宛ら不動明王が薪割りしているかに見えたほど…。
しかし、どうやってあの品々を手に入れたのか?
ぶっきらぼうに、「あんたにやる」と言って…心なしか赤くなった耳。
…どう言う積りなんだ。
今さら私には不要な物ばかりだし…。
「まうぅ…。」
寝ボケながら、小さな口をモグモグさせる伊吹がかわいい。
伊吹も大人しく寝ているし、少しだけ外の風に当たりたくなり、そっと小屋を抜け出した。
夜空には、ぼんやりと薄雲の掛った月が浮かんでいる。
白檀の香りのせいか、昔を思い出して仕方ない。
父の屋敷に引き取られたばかりの私は、ただの田舎の小娘で、当然貴族の姫の所作など出来様はずも無い。
唯一の救いは、故郷でも手習いはしており、一通りの読み書きは出来た事か。
まぁ、寺の和尚様が教えて下さるので、漢語まで覚えさせられた。
それは男の文字なのに、と不服な私だったが、私に限っては後に多いに役立つ事になった。
私は父親を尋ねる旅の中で、病に苦しむ者を数多く見た。
同時に、何とかその病を克服せんと、闘う人の姿も…。
やがて、運良く父に引き取られ貴族の姫としての生活が始まる。
けれど、野育ちの私には土台無理な事だったのだ。
私は身分ある姫君という、息の詰まるような生活から逃げ出す様に、屋敷を度々抜け出した。
抜け出した先、外の世界は、やはり病の姿があり、苦しむ姿とそれに挑む人々の姿があった。
(ただ傅かれる人間にはなりたくない。)
私も闘う人間になりたいと願い、その願いは形を現し、いつしか私は薬師になりたいと、ぼんやり考える様になっていた。
薬学についての書を捜し漁る私は、屋敷の者にも奇異な目で見られていた。
まぁ、のんびりした父母のおかげで、無理矢理に結婚相手をあてがわれる事もなく、そんな夢みたいな事を考えていられたのは確かだ。
そんな時、あの邂逅が有った。
大路に立つ市の中、一際大勢の人集りと、一際目立つ刀売りのオヤジ。
売り物の出来を披露するためか、実演として飛び入りの客と刀の斬り合いをやって見せていた。
とんでもなく豪胆な奴と呆れたが、その刀売りのオヤジは、バカみたいにデカイ図体の癖に動きは俊敏で、手合わせの相手に一太刀もかする事すら許さない。
桁違いの、とんでもない強さを目の当たりにした。
大路の皆がその騒ぎに目を奪われた時、私は刀屋のオヤジが先程まで座って居た所で見つけてしまった。
漆塗りの拵の小刀。
私は、簡素ながらも美しい小さ刀に目が奪われ…ネコババしたのだ。
勿論対価となり得る物は置いて来た。
求婚相手からの貢物だった櫛だ。私には何の未練も無い物だが、売ればそれなりの値がつく代物だろう。
今思えば…酷い事したなぁ。