花散里でもう一度
責苦
バシャァ!
「…ッ…」
「寝てんじゃねーよ。まだ俺が遊び足りないっつてるんだ、起きてろ。」
盛大にぶっかけられた水を髪や着物から滴らせ、気を失っていた事を知る。体に食い込む荒縄が、水を吸って更に身体中の傷に食い込んでくる。
流れる水は赤く斑に染まっていることだろう。
ここに囚われて何日目だろうか。
暗く閉ざされた空間で苦痛に体を苛まれ…あいつらは、あとどのくらい俺を生かして置くつもりだろうか。
蛇がニヤニヤと下卑た笑を浮かべつつ覗き込んで来る。
「蝮よぉ、まだ言う気にならんか。まぁ俺はそれでもいいんだけどな。お前を痛めつけてやる楽しみがあるからなぁ。」
「…悪趣味な、事だな。…っく、あああああっっ‼︎」
蛇が爪と肉の間に錆びた釘を刺したのだ。情けなくも口から悲鳴が迸るのを抑えられなかった。
痛みにのたうつ俺の体を足で踏みつけ、更に問うてくる。
…だが、言うものか…。
「お前、お姫様の居場所、何処か知ってるんだろ。吐けば楽になるぜぇ。まぁ俺が指一本じゃ足らんわなぁ。もっともっといたぶってやらなきゃ、この左目の礼には程遠い。いいぞ、死ぬ直前まで耐えてみせろや…蝮ィ。ケハッ、クハハハハッ、ヒーハハハァァッッ!」
蛇の壊れた嗤い声が辺りに響く。
二本目、三本目、次々に指に釘が打ち込まれた。痛みに気が遠くなるたび、水をかけられて意識を引き戻される。
両手の指全てに釘が打ち込まれた頃、心底楽しそうな蛇の笑みがグニャリと曲がって見えた。
再び気が遠くなる間際、聞き慣れた女の声が聞こえた気がした…。
こんな所にいるはずのない女。
いや、気の所為だ。
あれは、俺を憎んでいる。
でも、…こんな時にでも思い出すなんて重症だ。
俺の中に住み着いたあの女は、甘く麻薬の様に俺を支配する。
小刀をぺろりと舐めながら、俺の髪を掴み顔を持ち上げる蛇は、狂気に満ちたその目で睨みつけてきた。
「その目、もう暫く置いといてやるよ。お殿様は殊の外お前にご執心だ、俺に言わせりゃそっちの方が悪趣味だがなぁ。」
…ああ、痛みと苦しみが身体を満たす。
この責め苦は、俺が犯した罪の証なのだから…全てを飲み干そう。
それが少しでも贖罪に繋がるのなら。
◇◇◇◇◇
揺れるほどに大きな腹に手を当て、中で暴れる赤子に聞こえているとも思わないが、話しかけながら山をおりた。
「頼む、あまり暴れてくれるな。暴れ過ぎて腹から出てきてしまうぞ。」
「赤ちゃんもう産まれるの?」
「いやいや、まだもうしばらくは出て来たらまずい。まだ体がしっかりしてないから、腹の外では生きれないかもしれん。」
急な下り道で私は足元がおぼつかない。何しろ足元は腹が邪魔をして見えやしない。気を利かせ伊吹が手を引いてくれているのだが、なかなかどうしてぐらつく身体をしっかりと支えてくれる。
さすが鬼の子、力はある。生まれたての赤ん坊の頃でさえ指を握るその握力は半端なかったからな。
「赤ちゃん大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だよ。心配するな。でもかあちゃんの手を引いてくれ、転んだらことだからな。」
きりりと顔を引き締めた伊吹が神妙にうなづく。きっと責任重大と自覚したのだろう。何とも生真面目な性格だ、そんなところは父親に似たに違いない。なんでも背負い込む性分がそっくりだが、わざわざ苦労を背負い込む必要はない。
「ゆっくり行けば大丈夫だから。そんなに気負うことはないぞ。」
「うん。」
柔らかな茶色の髪を撫でれば、私を見上げて歯を見せて笑う伊吹。その顔を見れば自然に笑みが零れる。伊吹は優しい子供にそだってくれた。
病気一つしない元気さと、その優しさそれだけで十分だ。
山を降りるのにかなりの時間が掛かった。冬だというのに額に汗してようよう辿り着いた私達を待ち構えていたのは、里に住む大勢の人達。そのどれもが私に剣呑な視線を送る。
一体なんだというのだろう。
伊吹は怯えてしまって、私の後ろに隠れてしまった。そもそもこんなにたくさんの人間のに会う事が無かったから、余計に怖がっているのかもしれない。
村長はさっさと屋敷に戻ってしまい、私たちがのこのこと後を追っているのだが、それにしてもこの嫌な雰囲気、感覚は覚えがあり過ぎて…。
私は鬼の里に連れて来られた時から、茨木との婚儀が済んでも尚敵意に満ちた眼差しに晒され、大江山の鬼討伐の後も潰走する鬼達の憎しみを一身に集める存在であった。
同様の激しい感情を込めた視線に戸惑いを隠せない。
しかし解せぬ、ここは縁もゆかりも無い山里。人間の世界の筈。
嫌な予感しかしないが引くに引けない。
里についた私達を見つけた婆様が駆け寄ってきたからだ。
「伽耶!よくここまで降りて来てくれた。」
「婆様、どのような次第だ?阿久をを説得してくれと頼まれたのだが…聞いてはいないのか?」
項垂れて力無く首をふる婆様。
その様子は一急に老いてしまったようで、憔悴激しい婆様が気の毒だ。
「分からぬ。詳しいことは何も分からぬまま、宮地様の雇い入れた無頼の徒が阿久を捉えたと報せてきてな、村長の屋敷に据え置かれておると聞いたきりじゃ。」
「爺様は?」
「阿久をとりなしてもらおうと村長に談判しに行ったのじゃが…戻っておらぬ。…もう儂はどうしたら良いか…」
泣き伏した婆様をなんとか立たせて、婆様の家まで送って行くように伊吹に頼む。
「伊吹、婆様の家で待っていてくれ。婆様の事頼んだぞ、母ちゃんは村長殿の屋敷に行ってくる。なに心配するな。悪い事などしてはおらぬ、すぐに誤解も解けよう。」
「…うん。でも伊吹も行きたい。」
「だめだ。婆様が心配だ、様子を見てやってくれ。頼んだぞ。」
不安そうな伊吹と婆様にそう言うと、村長の屋敷に向かう。
田んぼの中の道を真っ直ぐに向かえば程々大きな門構えが聳えている。門の近くにはだらしなく着物を着崩した男達が二三人たむろしている。腰には物騒な物をぶら下げ、近寄ってきた私を値踏みするかのように不躾な視線をくれる。
「村長殿に頼まれて来た。ここを通して欲しい。構わぬか?」
途端にゲラゲラ笑い転げる男たち。
髭面の男が顔を近づけて尚も笑いながら私の顎を掴む。
「これが蝮の嫁っ子か、中々上玉じゃないか。ええ?てめえの亭主は中々の強情っぱりだ、うまく転がしてやれよ。」
男の手を振り払い睨み付けるも、それすらも揶揄する対象になるらしく、おかしくて堪らないといった風に笑続ける男達。
「おーおー、元気のいいこって。それより早く行ってやった方がいいんじゃねえか?どうせなら生きてるうちに顔見てやった方が後腐れなかろ。」
色をなくした私を更に笑い、屋敷の中に招いた。男達について行けば鼻につく匂い。
鉄くさい様な錆びくさい様な…よく知っている匂い。
嫌だ、もうたくさんだと言うに…私の嫌な予感は外れた試しがない。
奥座敷の縁側に面した庭に案内された私が見たものは…血だらけのまま転がされている阿久の姿だった。
「阿久!」
私の声に反応することは無く、ただ転がったままの姿に愕然とする。
もう手遅れだったのだろうか?
駆け寄私を制したのは、左目が潰れた男だった。
「まだ死んじゃいねー、まだな。」
嬉しそうにそう言った。その言葉に戦慄する。
酷く色素の薄いその男が握った手を差し出した。意味がわからず戸惑うわたしの手を取ると、無理やり開かされた掌にパラパラと何かを乗せた。
「あんたにやるよ。」
まだ年若く見えるが年寄りのように見事な白髪頭、肌も都の深層の姫君もかくやというほどに白い、色素の薄いその男の一つ残った瞳はそれなのに血のように紅い。
「それ、なんだかわかった?」
掌に乗せられた赤茶けたその何かは、確かに見覚えのあるものだった。
阿久の爪。
ニタリと笑う色の白いこの男だけではない、この屋敷にいる無頼の男達は心底この宴を楽しんでいる。
一人の人間をいたぶって、血を流させる事に無常の喜びを感じている。
一体何をやらかしたんだ阿久は!
「あんたにゃ悪いが、俺たちはあいつに恨みがあるのさ。蝮には痛い目に合わされたからな、同んなじ目にあわしてやるだけさ。」
「…ッ…」
「寝てんじゃねーよ。まだ俺が遊び足りないっつてるんだ、起きてろ。」
盛大にぶっかけられた水を髪や着物から滴らせ、気を失っていた事を知る。体に食い込む荒縄が、水を吸って更に身体中の傷に食い込んでくる。
流れる水は赤く斑に染まっていることだろう。
ここに囚われて何日目だろうか。
暗く閉ざされた空間で苦痛に体を苛まれ…あいつらは、あとどのくらい俺を生かして置くつもりだろうか。
蛇がニヤニヤと下卑た笑を浮かべつつ覗き込んで来る。
「蝮よぉ、まだ言う気にならんか。まぁ俺はそれでもいいんだけどな。お前を痛めつけてやる楽しみがあるからなぁ。」
「…悪趣味な、事だな。…っく、あああああっっ‼︎」
蛇が爪と肉の間に錆びた釘を刺したのだ。情けなくも口から悲鳴が迸るのを抑えられなかった。
痛みにのたうつ俺の体を足で踏みつけ、更に問うてくる。
…だが、言うものか…。
「お前、お姫様の居場所、何処か知ってるんだろ。吐けば楽になるぜぇ。まぁ俺が指一本じゃ足らんわなぁ。もっともっといたぶってやらなきゃ、この左目の礼には程遠い。いいぞ、死ぬ直前まで耐えてみせろや…蝮ィ。ケハッ、クハハハハッ、ヒーハハハァァッッ!」
蛇の壊れた嗤い声が辺りに響く。
二本目、三本目、次々に指に釘が打ち込まれた。痛みに気が遠くなるたび、水をかけられて意識を引き戻される。
両手の指全てに釘が打ち込まれた頃、心底楽しそうな蛇の笑みがグニャリと曲がって見えた。
再び気が遠くなる間際、聞き慣れた女の声が聞こえた気がした…。
こんな所にいるはずのない女。
いや、気の所為だ。
あれは、俺を憎んでいる。
でも、…こんな時にでも思い出すなんて重症だ。
俺の中に住み着いたあの女は、甘く麻薬の様に俺を支配する。
小刀をぺろりと舐めながら、俺の髪を掴み顔を持ち上げる蛇は、狂気に満ちたその目で睨みつけてきた。
「その目、もう暫く置いといてやるよ。お殿様は殊の外お前にご執心だ、俺に言わせりゃそっちの方が悪趣味だがなぁ。」
…ああ、痛みと苦しみが身体を満たす。
この責め苦は、俺が犯した罪の証なのだから…全てを飲み干そう。
それが少しでも贖罪に繋がるのなら。
◇◇◇◇◇
揺れるほどに大きな腹に手を当て、中で暴れる赤子に聞こえているとも思わないが、話しかけながら山をおりた。
「頼む、あまり暴れてくれるな。暴れ過ぎて腹から出てきてしまうぞ。」
「赤ちゃんもう産まれるの?」
「いやいや、まだもうしばらくは出て来たらまずい。まだ体がしっかりしてないから、腹の外では生きれないかもしれん。」
急な下り道で私は足元がおぼつかない。何しろ足元は腹が邪魔をして見えやしない。気を利かせ伊吹が手を引いてくれているのだが、なかなかどうしてぐらつく身体をしっかりと支えてくれる。
さすが鬼の子、力はある。生まれたての赤ん坊の頃でさえ指を握るその握力は半端なかったからな。
「赤ちゃん大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だよ。心配するな。でもかあちゃんの手を引いてくれ、転んだらことだからな。」
きりりと顔を引き締めた伊吹が神妙にうなづく。きっと責任重大と自覚したのだろう。何とも生真面目な性格だ、そんなところは父親に似たに違いない。なんでも背負い込む性分がそっくりだが、わざわざ苦労を背負い込む必要はない。
「ゆっくり行けば大丈夫だから。そんなに気負うことはないぞ。」
「うん。」
柔らかな茶色の髪を撫でれば、私を見上げて歯を見せて笑う伊吹。その顔を見れば自然に笑みが零れる。伊吹は優しい子供にそだってくれた。
病気一つしない元気さと、その優しさそれだけで十分だ。
山を降りるのにかなりの時間が掛かった。冬だというのに額に汗してようよう辿り着いた私達を待ち構えていたのは、里に住む大勢の人達。そのどれもが私に剣呑な視線を送る。
一体なんだというのだろう。
伊吹は怯えてしまって、私の後ろに隠れてしまった。そもそもこんなにたくさんの人間のに会う事が無かったから、余計に怖がっているのかもしれない。
村長はさっさと屋敷に戻ってしまい、私たちがのこのこと後を追っているのだが、それにしてもこの嫌な雰囲気、感覚は覚えがあり過ぎて…。
私は鬼の里に連れて来られた時から、茨木との婚儀が済んでも尚敵意に満ちた眼差しに晒され、大江山の鬼討伐の後も潰走する鬼達の憎しみを一身に集める存在であった。
同様の激しい感情を込めた視線に戸惑いを隠せない。
しかし解せぬ、ここは縁もゆかりも無い山里。人間の世界の筈。
嫌な予感しかしないが引くに引けない。
里についた私達を見つけた婆様が駆け寄ってきたからだ。
「伽耶!よくここまで降りて来てくれた。」
「婆様、どのような次第だ?阿久をを説得してくれと頼まれたのだが…聞いてはいないのか?」
項垂れて力無く首をふる婆様。
その様子は一急に老いてしまったようで、憔悴激しい婆様が気の毒だ。
「分からぬ。詳しいことは何も分からぬまま、宮地様の雇い入れた無頼の徒が阿久を捉えたと報せてきてな、村長の屋敷に据え置かれておると聞いたきりじゃ。」
「爺様は?」
「阿久をとりなしてもらおうと村長に談判しに行ったのじゃが…戻っておらぬ。…もう儂はどうしたら良いか…」
泣き伏した婆様をなんとか立たせて、婆様の家まで送って行くように伊吹に頼む。
「伊吹、婆様の家で待っていてくれ。婆様の事頼んだぞ、母ちゃんは村長殿の屋敷に行ってくる。なに心配するな。悪い事などしてはおらぬ、すぐに誤解も解けよう。」
「…うん。でも伊吹も行きたい。」
「だめだ。婆様が心配だ、様子を見てやってくれ。頼んだぞ。」
不安そうな伊吹と婆様にそう言うと、村長の屋敷に向かう。
田んぼの中の道を真っ直ぐに向かえば程々大きな門構えが聳えている。門の近くにはだらしなく着物を着崩した男達が二三人たむろしている。腰には物騒な物をぶら下げ、近寄ってきた私を値踏みするかのように不躾な視線をくれる。
「村長殿に頼まれて来た。ここを通して欲しい。構わぬか?」
途端にゲラゲラ笑い転げる男たち。
髭面の男が顔を近づけて尚も笑いながら私の顎を掴む。
「これが蝮の嫁っ子か、中々上玉じゃないか。ええ?てめえの亭主は中々の強情っぱりだ、うまく転がしてやれよ。」
男の手を振り払い睨み付けるも、それすらも揶揄する対象になるらしく、おかしくて堪らないといった風に笑続ける男達。
「おーおー、元気のいいこって。それより早く行ってやった方がいいんじゃねえか?どうせなら生きてるうちに顔見てやった方が後腐れなかろ。」
色をなくした私を更に笑い、屋敷の中に招いた。男達について行けば鼻につく匂い。
鉄くさい様な錆びくさい様な…よく知っている匂い。
嫌だ、もうたくさんだと言うに…私の嫌な予感は外れた試しがない。
奥座敷の縁側に面した庭に案内された私が見たものは…血だらけのまま転がされている阿久の姿だった。
「阿久!」
私の声に反応することは無く、ただ転がったままの姿に愕然とする。
もう手遅れだったのだろうか?
駆け寄私を制したのは、左目が潰れた男だった。
「まだ死んじゃいねー、まだな。」
嬉しそうにそう言った。その言葉に戦慄する。
酷く色素の薄いその男が握った手を差し出した。意味がわからず戸惑うわたしの手を取ると、無理やり開かされた掌にパラパラと何かを乗せた。
「あんたにやるよ。」
まだ年若く見えるが年寄りのように見事な白髪頭、肌も都の深層の姫君もかくやというほどに白い、色素の薄いその男の一つ残った瞳はそれなのに血のように紅い。
「それ、なんだかわかった?」
掌に乗せられた赤茶けたその何かは、確かに見覚えのあるものだった。
阿久の爪。
ニタリと笑う色の白いこの男だけではない、この屋敷にいる無頼の男達は心底この宴を楽しんでいる。
一人の人間をいたぶって、血を流させる事に無常の喜びを感じている。
一体何をやらかしたんだ阿久は!
「あんたにゃ悪いが、俺たちはあいつに恨みがあるのさ。蝮には痛い目に合わされたからな、同んなじ目にあわしてやるだけさ。」