花散里でもう一度
罪悪
恨み…
簡単には楽にしてやらないと楽しげに笑う白子の男は自分の左目を指差した。

「それ、阿久がやったのか?」

「俺は蛇。あいつは蝮って呼ばれていた。蝮の親父が首領を務める夜盗集団『騰蛇』に属して、まあお仕事してたんだよね。ってこれ知らなかった?」

微かに阿久の呻き声が聞こえ、辛うじて命があるのを知るが、放って置けばやがて死に至るは明白。

「昔話は後で聞こう。お願いだ、阿久を手当させてくれ。」

「健気だね〜。あの朴念仁のどこが良かったの?それこそ身体の相性が文句なしだったとか?」

ねっとりとした視線を投げかける蛇。白い髪の間から覗く真紅の瞳は恍惚とした表情を見せる。流れ出る血に興奮を覚えているに違いない。
怖い、まともじゃない様子の男を前に緊張がいや増す。
しかし、身体の相性だ⁈
冗談じゃない、誰が好き好んで夫以外の男と寝るものか。けれど子供を守る為仕方なく結んだ契約であったはずなのに、私は今なぜこんな危ない橋を渡る真似をしているのか…

「でも、あいつは渡してやれない。ごめんね。あいつはね、さる身分の高いお方の玩具でもあったのさ。俺らはあいつを殺したい。でも、それじゃお殿様の御勘気を被る羽目になる。さじ加減が難しいね。」

のんきに世間話をする様な口調の蛇。

「殺してはまずいのだろう、早く止血しないと…」

「ああ、そうだね。ギリギリまで責め抜いて、あの世が垣間見れるくらいまで落としてやったら介抱してやればいい。」

「っつ、何を!」

肩を掴まれ食い込む指の痛みに声を挙げれば、微笑む蛇の反対の手には小刀があるのに気づいた。
もう日が傾き、気温も随分下がって来ている。阿久の身体は水をかけられていて、肌の色も遠目で分かるほどに悪い。その土気色の背中が誰か別の男に蹴飛ばされ、無理やり意識を取り戻させようとしている。

「恋女房が折角お前の醜態を見に来てくれたんだ。起きろよ。起きなきゃ嫁さんの可愛い顔にデッカい傷でも付けてやるぜ。なあ蝮よく見ろよ。」

無理やり起こされた阿久は、二人がかりで支えられているが、意識は戻っていない。がっくり落とした首を、髪を鷲掴みにされ持ち上げられる。頬を何度も叩かれ、漸く薄っすら目を開ければ視線は漂い定まらない。
意識の混濁、今阿久はかなり危ない状態にあるのは間違いない。

「蝮、お前の嫁にお前がして来たこと、お前の本性をバラしてやろうか?」

ゆらゆらと定まらなかった視線が、私に吸い寄せられるように止まり、次第に見開かれる目を見れば阿久が正気づいたと分かった。
でも、そのままの方が今は阿久にとって幸いだったに違いない。

「こいつは騰蛇の中でも一番の汚れ役、殺し専門だったのさ。けどあの頃はまだ今みたいな図体じゃなくて、見かけだけなら可愛らしいどこぞの若様見たいでな、それを利用して相手の懐に飛び込んで寝首を掻くそりゃー厄介な奴だったさ。ところがこいつの親父がある貴族のお抱えになろうと企んでね、お互い甘い汁を吸う為だ話は上手く進んだ。そしてその契約の証として蝮は差し出された。」

「…や、…めろ…」

「頭は騰蛇の為に、いや自分の為だな…息子を売った。売られた息子は毎夜変態オヤジに抱かれて調教されることになった。運が良かったのはその変態オヤジが蝮を気に入ったことかな?」

「やめろ!」

意識を取り戻した阿久が、支えを振り払い立ち上がっている。信じられない。あんな酷い状態だったのに…

「お前は何も嫁に話してなかったのか?ひでえ野郎だな、騙くらかして女を引っ掛けやがって。でもそれじゃあ公平とは言えないだろう。自分じゃ話しづらい後ろめたい過去を、俺が親切に教えてやったんだ、礼の一つもしてもらいたいもんだな。」

阿久のふらつく体はもう限界だ。
後ろめたい過去?それを聞いたからといって傷付いたあの男を見放す気になるだろうか。自問するまでもない、私を薬師として育ててくれたおばばが言った。
薬師が人の生き死にを目の当たりにして、傍観しているなど許されることではない。
その通りだ、私は薬師なのだ。まずは阿久の命をつなぎとめることが先決だ。

「そのような事はどうでも良い。私に関係のない事。唯今はあの者の手当てをさせて欲しい。」

「へえ、あんな危ないやつを助けたいと思うなんて…よっぽどあんたも変なやつだな。けどね、あいつを信用しすぎると痛い目に合うよ、いつかあんたも寝首を掻かれる、あいつの親父のように。」

「くち、な…わ、よぶん、なことを…」

よろめきながら自力で立ち上がる阿久、見つめるわたしの視線に気づいた彼が私に視線をくれるが、すぐに逸らされる。恥じ入るかの様に俯く男に、蛇の言葉が多分に真実であることを直感する。
だが、その罪を贖うにも命あっての物だ。

「蛇そなたの言が信じるに値する事柄であったとしても、であるなら尚のこと阿久はいかしておくべきであろう。罪を償うのも生きていればこそだ。」

つまらなそうに鼻をならす蛇は、私の肩から手を離すと、手にしている小刀に舌を這わす。その銀色の輝きの中に僅かな赤い色が混じっているが、蛇は気にも留めてない。

「…随分図太い女だな。まあいい、蝮は殺すつもりはない、大事なのは匙加減て奴だ。こっからは俺たちの仕事。」

「やめて、くれ。そいつは、かんけい…ない」

「蝮よお、お前が誰かを庇おうとするだなんて、それだけでお前にとっての特別だって言ってるようなものだぞ。無慈悲で残忍な騰蛇の懐刀、蝮の名前はだてじゃあない。そのお前がなんて体たらくだ、だらしねえ。」

心の中に秘しておきたい事を穿り返される…これも耐え難い責苦の一つだろう。
阿久の心情を考えれば、私はこれ以上ここにいない方がいいのかもしれない。でも、阿久は自分の過去を悔いている、それは間違いない。なら私はここで引き下がってはならない、絶対に。もしも私がここから逃げたら阿久からも逃げたことになる。
それは…あの男を傷つけることになる。それこそ、再び修羅の道に引き戻すほどに決定だとなり得る…そう思うのは深読みのし過ぎだろうか。

「おい、あんた。蝮はもう限界だって見立てなんだろ、じゃあ俺たちに一つ協力してくれないか?これからは俺たちの仕事の時間としよう。」

突然、蛇が私に向き直ると頤に指を掛け顔を上げさせると、無理矢理に唇を合わせて来た。首を振って逃げようとするも、その細い華奢な指からは思いも寄らぬ力強さで私のあごを押さえて逃がさない。
口中に混じる苦味と、私の舌に絡まるあいつの舌…なんて気色悪い奴だ。

「何、しや がる!」

血走った目で蛇を睨めつける阿久。

「ははっ…くはははははっ、はははは〜っ‼︎」

狂った様に笑い始める蛇は、血の滲む舌で私の頬を舐める。

「いつも取り澄ましたお前の顔が子憎たらしかったよ。それがどうだ、こんな小娘一人のためにそんなに取り乱してくれるなんて、可笑しくてな。その調子で俺の質問にも答えろや、…あのお姫様をどこにやった。」

小刀が首筋に当てられる。
ニヤニヤ笑う蛇の手に少しでも力が入れば、私の首からは血が吹き出す羽目になるだろう。

「万里小路のお姫様は、今何処にいる。生きているのか、死んでいるのか、それとも…お前が殺したか?」
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