花散里でもう一度
修羅
「万里小路のお姫様は、今何処にいる。生きているのか、死んでいるのか、それとも…お前が殺したか?」



先程の表情と打って変わって真剣な顔つきの蛇は、私を拘束する手を緩める事なく阿久に問いかける。
今の蛇の声色には何の感情も浮かばない。先程までの狂気に満ちた嗤いは成りを潜め、ただ情報を聞き出すという作業のみに徹する姿勢が、寧ろ恐怖を煽る。目的の遂行の為には手段を選ばない、言外に物語るその姿勢そこが騰蛇の本質だと感じる。非情で計算高く、統率された武力を備えた集団。
騰蛇は組織として非常に機能的に動いていた印象を受ける。だが、拷問までして阿久にその標的の行方を聞き出そうとしているのは、標的を見失った…と考えて間違いない。
彼らの仕事は失敗した、それは阿久がその組織を裏切ったから?
始めて会った日の阿久は大きな傷を負っていた。あれはこの蛇とやりあった傷なのか…。

「っつ!」

髪を引っ張られて無理矢理顔を阿久に向けられた。髪を握る手に力がはいり、焦れた蛇の横顔が目の端に映る。
痛みが思考に浸っていた私を現実に呼び戻す。

「あんたからもあいつに言ってくれよ。そろそろ依頼主がここに到着する予定なんだ、そいつが来るまでに吐かせる約束してんだよ。…いや、それよりもあんたに聞いた方が早そうだ。蝮も快く話してくれるだろうよ。なあ、蝮。」

またも小刀を顔の目の前にちらつかせる蛇に、阿久の表情は一層険しいものになる。

「そいつに手をだすな。」

自力で立ち上がった阿久に、脇に立つ男たちが身構える。あれだけ満身創痍の阿久を、そこまで警戒するるのか。いや、そうまでの強さがあの男にあると言う事か…。

しかし、万里小路と言えば聞いた事のある…どころじゃあない名家中の名家だ。
だが、隆盛を極めたその高貴な血筋は今は衰え見る影も無い。
数年前に都で起こった大火は貴賎を問わず様々なものを焼き尽くした。万里小路の邸宅も、当主とその奥方諸共灰塵に帰したと聴く。現当主は分家から選ばれた者が付いたが、曾ての栄華とは比べるべくもない。
…と 言うのが私の知り得た過去の情報だが、万里小路の姫君の話は聞いた事はなかった。確か一姫がいらっしゃる筈だ、しかし彼女の消息は耳に入って来なかった。御両親同様に儚くなられたのかと思っていたのだが…。

「今現在の万里小路はその傍流より選ばれた方が当主になられている筈だが、まさかその方があんたがた騰蛇の息のかかった者だというのか?」

驚いた表情を隠せない蛇が私を凝視する。なんでこんな田舎の取るに足らない女が遠く離れた都の事件を知っているのか?そんな心情を如実に物語っている赤い瞳が細く眇められた。

「まさか一姫様を探してどうにかしようと考えているのか?だったら私を傷つけた所で阿久は決してお前達の欲している情報を口にするとは思えないぞ。これからお前がしようとする事は、全くの無駄足になるだろうよ。」

「女…お前、何を知っている?」

「…何も…。でも、阿久は自分のしたことを悔いている。ならもう二度と修羅の道には戻りはしない。」

乱暴に掴まれた髪を更に引っ張られて、思わずよろける。蛇ががっつりつかんでいた腕は振り払われて、拘束が解けたが、走って逃げれる訳もなく、その場で振り向いた私が見たものは酷く傷ついた顔をした蛇だった。
頭一つ分位私よりも背の高い蛇を見上げていた私は、自分よりも年上かと思っていたのに、この表情だけで見ればまるで幼く見えてしまう。

「馬鹿な。一度血で染まった手はもう戻りはしないさ。蝮もそうさ、蝮は死んでも蝮だ。一咬みで相手を必ず死に至らしめる、そんな毒を持った男だ。どうあっても普通の農夫なんかにゃなれはしない。なら戻るべきはこの修羅道しかないんだよ!」

激昂する蛇、まるで自分に言い聞かせているかのようなその言葉は、同様に私の胸も抉る。
痛みに耐えるかの様な、赤い瞳が揺れている。
阿久も、蛇も、他の男達も、寄る辺ない迷い子だったのかもしれない。今日を生き抜く為、明日の糧を得る為に、自らの手を血で染めなくてはならなかった幼子達が居る事を私は知っている。
私だって同じだ。
自分を守る為に奪った命が有った。
綺麗事だけでは生きて行けないなんて、嫌という程味わった。でも、それでもそこから抜け出したいと願う気持ちがあるのならば、這い上がる事は出来る、そう信じたい。
少なくとも、私はそう信じているし阿久がそう願うのなら、その手助けをしたい…。
もっともこの状況下では、命と引き換えであること明白なのだが…。しかし、そこをなんとかしなくては。



急に外が騒がしくなった。
先触れの男が走り込んできたらしく、屋敷の入り口にいる男たちともめている声が聞こえてきた。

「ちっ!もう来たか。屋敷に通してくれ。」

「いえ、その前に村中の男たちが屋敷への道を塞いでいまして…お殿様がお乗りの牛車が立ち往生しております。申し訳ありませんがその…こちらにおいで頂く訳にはいかないでしょうか?」

恐々と顔をだした下男は、更に小さくなりながら要件を切り出す。

「…仕方ねえ。こっちから出張ってやるか。ったくだらしねえ奴らばっかりだ。そんな奴ら牛で蹴散らしてやればいいものを。めんどくせえなあ。まあいい、お前ら支度してやれ。感動の再会といきますかね。」

再び縄をかけられ立たされる阿久、ふらつく足で引きずられるように連れて行かれる。

「…阿久」

目の前を通る阿久に声を掛けるも、一瞥もなく通り過ぎて行く。
怒っているのだろう、余分なことをした挙句巻き込まれている私に。何しろ自分からこの面倒ごとに首を突っ込んで来て阿久のお荷物になっている、何より私一人の身体ではないのだ。かつて散々婆様に叱られた記憶が蘇った。


◇◇◇◇◇


屋敷へと続く一本道に黒山の人集りが出来て、怒号が飛び交っている。
まだ手を出してはいないものの、それもいつまで持つか…といった様相を呈している。暴徒と化す寸前の村人に、牛車を先導している男たちは手を焼き動くこともままならない。

「上納金の撤廃を!」

「宮地様!なんでこの村だけに上納金を課すのですか!阿久がいるからですか!」

「阿久がなにしたっちゅうんじゃ!変な言いがかりつけんでくれ!あいつの親父は夜盗じゃったかもしれんが、阿久までそうだとは限らんじゃろ!」

牛車の脇を歩く折烏帽子を被った年嵩の男が、宮地であろうと目される。
村人たちの怒りを目の当たりにして、怯えた表情を浮かべるその男は只々卑怯な小物としか映らない。

「煩い!誰のおかげで米が作れると思っておる!わしが水路を作ってやったからじゃろうが、人の恩を忘れおって‼︎」

すでに日が落ちて辺りは宵闇に包まれつつある。手に手に松明を掲げ詰め寄る村人たちに囲まれた牛車からは何の返事もない。
それでも尚下男達が必死に牛車の御簾に向かって何事か声をかければ、逆にきこえるのは叱責の声。

「早うこんな場所から離れろ!あの煩い塵共を蹴散らしてしまえ!」

呆れるほどに低俗な物言いに言葉も無い。

「村の衆!ここでこの無体を飲んでしもうたなら、次々に無理難題を吹っかけられる事になる!」

「そうじゃあ!一人の罪があったとて、それを持って村人全てを糾弾するなど道理が通らぬ!そのような事、前例を作ってしまえば何度でも繰り返される!ここで引いてはならぬ、阿久を渡してはならぬ!」

人の波に飲まれそうになりながら、声を張り上げているのは爺様と、村長。姿が見えないと思った爺様は、村人たちを扇動していたというわけか。

「じい様方、年寄りの冷や水って知ってるかい?」

静かな声なのによく通る声が辺りに響く。
蛇に連れられた阿久、その身体中の傷は松明の淡い光に照らされて彼の受けた苦しみを如実に物語る。

「なんてことを…なんて酷いことをしやがる!」

気色ばんだ村人たちに、嗤いながら言い放つ蛇。

「そんな都合良く自分たちは善良な人間ですって顔しないでくれよ。間違いなくこの男はこっち側の人間だからね。な、蝮。お前は間違いなく修羅だ。それを今思い出させてやるよ。」

赤い隻眼が阿久を睨めつけた。
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