花散里でもう一度
草枕

冬の間の事は思い出したく無い。

それ位、良く無い事が続いた。

中でも応えたのは、鬼の里で初めて友人と呼べる仲になった者の言葉だった。

紅竹。
彼女の出産に立ち会った私は、陣痛に苦しむ紅竹を励まし、代わりに罵声を浴びせられながら、その時を待った。

そして産まれた赤子が産声を上げず、見る見る紫色になって行くのを見ていた。
取り上げた産婆が諦め首を振った時、咄嗟に体が動いたのは、目の前にある小さな命を救いたい一心だった。
何度も小さな身体を擦り、叩き、口に含んだ水を吹きかけ…もうよせと、止められて尚諦められず続けた。
産婆が私から赤子の身体を奪おうと手を伸ばした時。

声が出た。
直ぐに赤味を帯び、小さな身体を震わせ、大きな泣き声を上げ泣き続ける我子を抱きしめる紅竹。

安堵にへたり込んだ私を、初めてまともに見た紅竹は、潤んだ瞳で礼を言った。

「ありがとう、綾。」

初めて名を呼ばれた私は、彼女に受け入れられた。


…そう思ったのは、勘違いだったのかな。



「あんたが悪い訳じゃないし、茨木様はあんたが居るから今を耐えている。…わかっている、ただの逆恨みだ。けど、あんたを見てると苦しいよ。人間が憎い、私から何もかも奪った人間が憎い。綾、あんたを憎しみに駆られて傷つけそうになる。」

降りしきる粉雪、凍った土を一心に掘り返す紅竹の指先からは血が滲む。

やがて小さな穴が出来上がり、紅竹はそこにそっと我が子を寝かせた。
硬く冷たくなった赤子は、もう泣き声を上げる事はない。

嗚咽を漏らしながら土を掛け、血塗れの指先で小さな土饅頭を作り上げる紅竹。

「でも、あんたは私の友達だよ。だから綾は人の世に帰って欲しい、私があんたの首をねじ切る前に…私にそれをさせないで。お願いだよ。」

湯上りの赤子の柔らかな頬っぺたを突ついたり、乳の匂いがする小さな体を抱きしめたりしていたのが、随分と昔に感じる。
そんなはずはない、ほんの半月程前の事だというのに、そこから遥遠く隔たれた所に来てしまった。

紅竹の懇願に、私は頷く事しか出来ない。
けれどもそれは、ぐずぐずと迷う私の心を、未練を断ち切る言葉でもあった。



皆が隠れ潜む洞穴に戻れば、疲れた顔をした茨木が私を見つけ駆け寄る。

「身体を冷やすな、腹の子に障る。…紅竹と居たのか。」



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