花散里でもう一度
ーーー橘の花散里のほととぎす片恋しつつ鳴く日ぞ多きーーー
万葉歌で亡き人を偲ぶ歌だったな。
亡き妻を散ってしまった橘の花に、橘の木に止まり鳴くほととぎすを自分になぞらえている。
橘が散ってしまい、一人寂しく妻を思い鳴いているほととぎす……そんな解釈だったはず。
歌も苦手だったからなぁ、今ならもう少しまともに習って置くべきだったと反省する。
峠に立ち、茨木と別れた場所を見つめる時、私の中でいつもこの歌を思い出していた。
季節も違うし、何より茨木は生きている、いつか私達を迎えに来てくれる、そう思っているのにしつこい程この歌が蘇る。
それは怖かったから、もう茨木に会えないのでは無いかと言う恐れが、そうさせたのだろう。
私には雪の華が舞い散る季節が別離の記憶そのもの。
幾度でもあの白い粉雪が吹きすさぶ光景が、目蓋の裏に蘇ってくる。
いつもいつも、私は茨木を呼んでいた。
想いを乗せて、貴方の名前を呼んでいた。
応えが無いまま、ずっと、ずっと。
一人ぼっちのほととぎす。
でも、また逢える。
貴方に会える。
「わぁ!お花が舞ってる‼︎」
「風花だ。本当に花みたいだなぁ。」
空を見上げた伊吹が歓声を上げた。
山奥から吹き付ける風に乗り風花が舞う。山の向こうはまだ雪が降っているのだろう。
青天の空に白い花が舞い散る。
そして、その向こうの峠に立ち尽くす人の姿、額には二本の角が見えた。
萎えた足だが雪解けの峠の山道を駆ける。
泥と雪を蹴散らして、息が苦しいけど肺が破けてもいい、早く早く、貴方に触れたい。
あと少しの所で、小さな石に蹴つまずいた私の体を、がっしりとした腕が受け止めた。
胸が一杯で気の利いた言葉なんて出てきやしない。
「茨木、会いたかった!」
腕の中から見上げた茨木は、相変わらず綺麗だ。でも視界がぼやけて来た。緩くなった涙腺にほとほと困り果てる。
そんな私をきつく抱き締めるその人は、紛れもなく私の夫だ。
「ただいま、綾。」
私が放り投げた荷物を拾い上げ後を追ってきた伊吹を、腕に抱き上げた茨木。もじもじと身の置き所が無い様子の伊吹を覗き込む。
「名前は?何ていうんだ?」
「い、伊吹。」
「そうか、伊吹、母さんを守っていてくれてありがとうな。」
「う、うんっ!」
泣きじゃくる私と、初めて会った父親に困惑しきりな伊吹だが、だんだんと笑顔を見せてくれる様になった。
こんな日が来るだなんて、嘘みたいだ。
でも、良かった。
青い空に舞い散るは白い雪の華。
もう一度ここから始めよう。