渡り廊下を渡ったら
私は、弾かれたようにぱっと振り向いた。

すると、ちょうど戸が開くところだった。
そして遠慮がちに開かれたドアから出てきたのは、1人の青年。

彼は玄関ホールに入ってきて、きょろきょろと周りを見回す。
団長を探しに来たのだろうな、と思って見ている私と目が合って、彼がにっこり微笑んだ。
「おはよう、ございます」
ぎこちなく声をかけると、彼はこちらへ歩いて来る。
近くで見ると、その人が騎士さまだということが分かって、なんとなく体が強張ってしまった。
そして、あまりじろじろ見ても失礼だろうと思って視線を落とすと、彼の手首に青いコインのようなものが皮の紐で巻かれているのに気づく。
そういえば、アンと連れ立っていった人も右手首に腕時計のような、青いコインのようなものを巻いていた。
彼は私が見ているものが何なのか分かったのだろうか、いっそう爽やかな笑顔で、その手首に光る青いものを私に見せた。
「・・・どうも。
 俺、蒼の騎士団1等騎士のノルガって言うんだけど・・・」
声まで爽やかだ。
「職員のミナです」
名乗って、目の前の彼を見つめる。
背は団長ほどは高くないようだけれど、赤毛に茶色い瞳をしていて、人懐こくにっこり笑った口元には、八重歯が覗いている。
やんちゃっ子のような弟系フェロモンが出てますよ、と心の中で呟いてみた私は、男性の視線に慣れていないからなのか、なんとなく彼を直視することが出来なかった。
そのノルガくんは、さらに続ける。
「今、ちょっと時間ある?」
何かの勧誘のような台詞に、私は内心で訝しがりながらも頷いた。
「ええと、少しなら。
 これから団長のところに行かなくちゃいけないんですけど・・・」
「・・・ほんと?!」
団長、の名前が出た瞬間に、彼の顔色が変わった。
若干身を乗り出して顔を覗き込まれては、私も一歩さがってしまう。
・・・ち、近い。
「よかった。俺、野営組だったからさー。イマイチ孤児院の中がよく分かんなくて。
 勝手に入っていい感じでもなかったし」
彼は腰に手を当てて、なんか教会みたいな雰囲気あるじゃん?・・・と付け加えた。
彼の所属する蒼の騎士団は、1等~3等まで階級がある。それに加えて、馬番や備品や装備など管理したり、巡回した際の後処理などを担当する事務要員もいる。騎士以外は、それぞれの駐在所や王都にある本部に待機していることが多い。
ちなみに1等騎士は、団長、副団長に次ぐ階級。それぞれの班をまとめる責任を持つ。
もちろん強い。
邪気のない表情を見せる彼も、1等騎士だと言っていた。
強くて、責任ある立場の騎士・・・のはずだ。私の記憶が確かならば。
「野営してた騎士さま達も、今日帰還するんですよね?」
正面から見上げた私の問いに、目の前の彼は頷いて答えてから、何かを思い出したのか声をわずかに低くして私の目を覗き込んだ。
「ねぇ、あのさ・・・」
「はい?」
言いにくそうに、言葉を選んでいるようだ。
「・・・君・・・団長に押しつぶされた子だよねぇ・・・?」
頬を指で掻きつつ、非常に聞きづらそうに言葉を搾り出した彼。
私はそうする理由が分からなくて、なんとなく小首を傾げてしまった。
「・・・そうですけど・・・?」
伺うようにして肯定した瞬間に、茶色の瞳が見開かれた。
同時に「まじっすか!」と彼の口から感嘆の声が飛び出す。
それは、肯定して欲しいのか、否定して欲しいのか、判断し兼ねるところだ。
そして若干肩を落としたように見えたのは、私の気のせいだったのだろうか。
「そうなのかー・・・」
ため息と同時に、言葉が宙に舞う。
そして、急に真剣な目つきになって、私の肩をがっしと掴んだ。
・・・その左手、もう少し強く掴んだら私の右肩が悲鳴をあげるのですが・・・。
気をつけていただけないだろうかと、内心ハラハラしながら彼の左手をちら、と見た。
すると、
「あぁ、ごめん・・・ちょっと力が入っちゃった」
彼の手から力が抜けて、ふんわり私の両肩を包んだ。
騎士というものは、団長といい、女性の扱いに配慮があるんだな。などと感心していると、彼が話し始める。
「・・・あの時、全身打ってたもんね」
「え・・・と、ええ、はい。痛かったです」
彼の言葉の意図が分からないまま、私は曖昧に頷いた。
それを見た彼は、労るような優しい目でさらに続ける。
「世間の目が厳しいこともあるかも知れないけど、自分に素直に生きるって大切だよね」
「・・・?」
「これからは、生まれ変わったつもりで女の子として生きていけばいいんだよ」
最終的に、頭をなでられた。
そこまでされて、やっと理解して声を絞り出す。
優しい言葉をかけたつもりが、思ったような反応が返ってこなかったのだろう、彼は違和感に首をひねっていた。
「・・・本当に・・・いいですか、」
私は大きく息を吸い込んで、それから彼の目を見て言ってやった。
「私は最初からオンナです!!」



「ミイナ~、機嫌直して~」
渡り廊下を早足で歩く。
まとわりついてくる大型犬のような彼を無視して、私はとにかく歩いていた。
勘違いを正してからというもの、ノルガくんはとても腰が低くなった。
付き添って用事を済ませている間、周囲の視線が本当に痛かった。
男前に謝り倒させている光景に、部下の皆さんが噴出しそうになったり青くなったりして、なんとも居心地が悪かったりもした。
先程の彼の「ちょっと時間ある?」というのは、野営騎士達の軽食調達のためだったらしく、一緒に料理長に会いに行って。
その後の、自分の部下に対して「お前ら運んどけ」なんて言いながら指示する姿は、1等騎士以外の何者でもなかった。
あの瞬間ばかりは、纏わりついている彼でも格好良く見えたものだ。

そして、今まさに私の前や後ろに回って、何度も謝り倒しているわけだ。

「もう!怒ってないですから仕事に戻って下さい!」
ぴた、と足を止めてノルガくんに向き直る。
「私はこれから団長のところに行くので!」
いくぶんか語気を強めて伝えると、私の正面に立ってノルガくんが見下ろしてきた。
「そういえば言い忘れてた」
やけに真剣な顔に、鼓動が跳ねた。
すらっとした身体をかがめられて、背中のあたりがむずむずしてしまう。
「・・・気絶したミイナを運んだの、俺なんだよねー」
お姫様抱っこでね、と無駄に色気のある声で告げられては、そんなつもりはないと分かっているクセに心臓が忙しなくリズムを刻み始めてしまう。
あちらの世界にいた頃は、働き出してから恋なんてする暇もなかった。
こっちに来てからも、職場が孤児院だったから出会いもない。
けれど、だからと言って孤児院を通り過ぎていくだけの人に、ときめいたりしない。
ここ数日で団長の色気にさらされてきた私は、ノルガくんなどに沈められるような心臓を持ってはいないのだ。
とは言え、美形男子に対して免疫力の落ちてしまった私は、ほんの少しだけ赤くなってしまった顔を隠すように、頬を両手で包んで彼を見つめた。
「それは、本当ですか?」
「うん」
「それは・・・・」
そこまで言って、私は姿勢を正して頭を下げた。
「ありがとうございます、助かりました」
ごめんなさい、重かったでしょうね、と付け加えて。
すると彼は、嬉しそうに首を振って、
「全然!
 男の子にしては軽すぎると思ってたけど・・・今思えば、身体も柔らかかったし・・・」
何かを思い出しているのか、半分自分に話しかけているようにも見えた。
それから、彼は私の目を真っ直ぐに見つめて、口を開く。
「・・・それじゃあ、お礼を要求します」
「え?」
唐突な言葉に呆然としてしまった私の手を取った彼から、色気を漂っている。
私はそれに飲まれてしまったのか、上手く言葉が出てこなくなっていた。
「・・・本当は、ほっぺに欲しいとこだけど・・・・これで、」
言いながら、指先に
「今回はガマンしとく」
そっと唇を落とすのが目に飛び込んできた。
頭で理解している間もずっと、指先に柔らかい感触が。
「・・・っ」
息がうまく出来なくて、言葉が出なかった。
慌てて手を引っ込めようとしたら、私の手を掴んだ彼の手に、力が入る。
どうしてだろう、やんわり手を取ったはずなのに。
騎士とは、何食わぬ顔をしたままこれほどの力を出せるものなのか。
恥ずかしい気持ちの裏側で、変に冷静に考えていたところで、彼と目が合った。
彼の余裕の表情に鼓動が早鐘のようになってしまった私は、息を飲むしかない。
ここは渡り廊下。誰が来てもおかしくない。
気持ちは焦るのに、まだ彼は離してくれそうになかった。

そうして、時間が経つと共に冷静さが戻ってきた私は、言葉を発しようと息を吸った。
「あの、」
目の前の彼の表情を見ないようにした私の声と、
「おい」
聞いたことのあるバリトンの声が、重なった。






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