渡り廊下を渡ったら
「・・・ところで、手を貸してくれるか」
柔らかく、でもそわそわと落ち着かない気分にさせる空気をかき消すように、いたって事務的に団長が言った。

その変わりように私も、はた、と意識を取り戻す。
急に子ども達の遊ぶ声が近くに聞こえるようになった。
「荷物はたいしてないから纏め終えたんだが、書類が多くてな・・・。
 悪いが、手を借りたいんだ」
言い終わるのとほとんど同時に、彼は私に背を向けて歩き出していた。
お願いしているのは彼のはずなのに、私が引き受けるのはもう決定事項なのか。
なんて強引なのだろう、と呆れ半分で息を吐くけれど、嫌な気分ではない。
きっと自分が服装を変えたせいだと納得して、団長の後を小走りに追いかけた。


団長の言う書類は、手伝って欲しいと言うだけあって、文字通り山積みだった。
彼の部屋の間取りも私のそれと同じなのだけど・・・絶対にこちらの方が広いはずなのに、机の上にいっぱい、ベッドの脇にもいっぱい。
とにかくいっぱい、至る所に書類が積まれていた。
これなら、手を借りたくて当然だ。
「・・・すごい、ですね・・・」
私はドアのそばに立ったまま呟く。
中に入った方がいいとは思うけれど、なんだか踏み込む勇気が出ないのだ。
書類が舞い上がらないように、と閉め切られた部屋の中がとても暑い。
むわっとした空気が、余計に私の足を止めていた。
「安静に、と言われていたからな・・・。
 普段処理が追いつかないものに没頭していたら、こうなった」
さすがの団長も、何でも出来る、というわけではないらしい。
肩を竦めた彼の姿に親近感を抱いてしまって、私は頬が緩むのを抑えられなかった。

「とりあえず・・・。
 右上に赤いインクで王家の紋章、青いインクで騎士団の紋章の入った書類があるだろう。
 その2種類に分けてもらえれば助かる」
「わかりました。それくらいなら、出発には間に合いますね。
 出発は、お昼ごはんを済ませたら、すぐ・・・でしたっけ?」
そういえば今朝院長から言われた気がするな、と思い出しつつ確認を取ると、団長が頷く。
やり取りをしている間にも、彼はテキパキと書類の束を移動させていた。
そして机の上にスペースを作ったところで、椅子を引いて言う。
「君には机の上の束をお願いしてもいいか」
「はい」
私は団長が引いてくれた椅子に腰掛けて、団長は床に座って、書類を分け始める。
無言になった途端に、ふと可笑しくなって笑ってしまった。
蒼の騎士団団長が、私のために椅子を引くなんて、と思ってしまったのだ。
「・・・ごめんなさい」
すかさず謝る私に、団長は黙って作業を続けている。
彼は私の後ろにいるけれど、なんとなく続きを促されているように感じて、私は再び口を開いた。
「私、いつの間にか団長に椅子を引いてもらうようになっちゃったんですね」
「・・・不満か?」
平坦な声が、後ろから飛んでくる。
でも私にはそれが、怒りを含んでいるようにはどうしても思えなかった。
きっと、私を褒めた時の、あの表情が脳裏に焼きついているせいだ。
調子に乗った私は、続けて言葉を並べる。

「・・・あなたのこと、鬼のように血も涙もない騎士なのかと思ってました。
 でも、昨日は心配してくれて、今日は椅子まで引いてくれて・・・。
 蒼鬼だなんて、周りの人達が勝手に想像して呼んでただけなんですね」
書類を1枚手に取って、赤インクの場所に置く。
かさり、と紙が立てた音が、部屋に響いた。

この王国には3つの騎士団があり、それぞれに「鬼」と呼ばれる団長がいるのだ。
ちなみに「鬼」というのは、正式な呼称ではない。世間が勝手に、今の私には分かるけれど、きっと面白半分に呼んでいるだけだろう。
特に、王国全体の治安を守るために働く蒼の騎士団は、夜盗や隣国からの略奪者達と幾度となく戦ってきた。
文字通り、剣を振るってきたのだ。
私のいた世界では、もはや御伽噺、昔の話である。
最近は治安も安定してきたという話だけれど、それまでは街や村が見境なく襲われることが頻発していた時期もあったという。
夜盗グループに翻弄されてしまっていたことも、あったそうだ。
どう考えても騎士団の方が数も多いし、統率も取れているはずなのに、いつも警戒の手薄な地域を狙われるようになったのだという。
もちろん騎士団の信用はガタ落ち、歯止めはきかず、被害は広がるばかり。
騎士たちの負傷や殉職が相次ぐことで、当然騎士の数も減り、国土は荒れに荒らされた。
そんな時、当時の団長や騎士団の機密を知る者たちが、夜盗グループと手を結んでいることを、若い騎士たちが偶然知ることになる。
そして彼らは、団長の指示に従うフリをして準備をし、街が襲撃された際に当時の団長もろとも、夜盗グループを葬り去った。
同じ蜜を啜っていた騎士たちも、当時の団長に同じく、国王の判断のもと処分されたらしい。
その、当時の団長たちを斬って捨てた中の1人が、今の団長なのだ。
偶然にその瞬間を目撃したという民間人が、団長の鬼の形相が忘れられない、と後に語ったという。
そこから、彼は蒼鬼と呼ばれるようになった・・・というのが、私の知っている話だ。

青いインクの書類を、ぴら、と移動させる。
「私、蒼鬼さまって、もっと怖い人なのかと思ってました」
振り返ると、彼も書類を整理しているところだった。
視線を書類から離さずに、閉ざしていた口が開かれる。
「・・・怖くはないのか」
「ええ、全く。
 ・・・すみません」
間髪入れずに返した私には、一瞥もくれなかった。
怒らせてしまったかと内心ひやりとしつつも、書類を移動させる横顔が緩んだのに気づいて、そっと息を吐く。
些細な変化だけれど、この距離からなら見つけることが出来るのか。
「君は不思議だな・・・」
そこまで言って、彼は初めて私と視線を合わせた。
その表情は、私には普通のお兄さんに見える。
「そう、ですか?
 やっぱり渡り人だからかな・・・」
半分は独り言になった私に、彼はなおも言い募る。
「それもある。
 君のいた世界は、きっと平和なところだったんだろう」
「ええ、一応は。
 国の外は戦争していたり、内紛があったり・・・私には、遠い所の話でしたけど」
「きっと、毎日の生活に困ることもない国だったんだな」
団長は、穏やかな声で話す。
きっと言葉にしながら、私のいた世界を想像しているんだろう。
見せてあげたいな、なんて思ってしまった。
・・・絶対に叶わないと知っているのに。
せめて詳しく、と視線を揺らしながら私は言葉を並べる。

「そうですね。
 教育も受けて、仕事をして、もし仕事がなくても何とか国が生かしてくれて。
 ほとんどの国民がそうしてもらえる、とてもいい国だったと思います。
 当たり前の幸せに慣れてしまってたって、こっちに来てから気づきましたけどね」
本当に、こちらの世界では考えられないような治安の良さだった。
いや、この国の治安だって、決して悪いわけではない。蒼鬼率いる蒼の騎士団のおかげで。
「そうか。それはいい国だな。
 教育といえば・・・、
 君はこの世界の言葉を問題なく操っているが、それは学習したものなのか?」
団長が当然の疑問を投げかけてきた。
これに関しては、私も今になっても全く分からないのだけれど・・・。
「気づいたら孤児院のベッドの上だった、っていうのは話しましたよね。
 どういうわけか、言葉と文字に関しては、目が覚めた時から扱えたんです・・・」
院長に聞いても何にも分からないし、もう考えるのはやめた。
ただでさえ理解に苦しむ展開だったのだから、不可思議なことなど、これからいくらでも起こるだろうと悟ったのだ。
いちいち反応して悩んでいたら、体も心もおかしくなってしまうだろう。
団長も、表情を変えることなく、ただ相槌を打っていた。
「・・・そうか」
そして、再び黙々と書類を片付け始める。
私もそれにならって、黙々と作業に没頭した。
赤と青に注意して、ただひたすら分ける。
分ける。
分ける。
そして積む。
単純作業は、私に余計なことを考える余裕を与えずに、いつまでも続いた。

どれだけ集中していたのだろう、もう机の上の書類は、ほとんど分け終わった頃。
「よし、あともう少し・・・」
私が軽く伸びをしたのを聞いたのだろう、団長が沈黙を破った。
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