渡り廊下を渡ったら
「ええと・・・しらゆり孤児院の院長の推薦状によると。
あなたは、2年前に別の世界から渡ってきたとあります。
・・・間違いないですか?」
「はい、間違いないです」
質疑応答を繰り返し、その都度彼が書類にペンを走らせる。
「それでは、今の年齢を」
「今年で24です」
「・・・」
テンポよく進められていた会話が止まり、彼は書類から目を上げた。
「・・・分かりました」
何も言わず、何も訊かないのは彼の気遣いなのだろうか。
気になるところではあるけれど、実年齢と見た目の差に悩まされてきた私にとっては、彼の無理のない流し方はありがたかった。
そして彼は、ペンを走らせた。
「書物の読み書きは出来ますね?」
「はい、今まで苦労したことはないです」
さらさらさら、と彼が続けて何かを書きとめる。
「こちらに渡ってくる以前は、子どもの教育に関する仕事を・・・?」
「はい、保護者から子どもを預かって面倒を見る施設で働いていました」
「それは、孤児院とは違うのですか・・・?」
彼が書類から視線を上げて、訝しげに問いかけた。
確かに、孤児院にも似ていると言えば、似ている。
けれど、私はゆっくりと首を振って、なるべく理解しやすいように言葉を選んだ。
「ええと、一時的に預かって面倒を見るんです。
例えば朝、保護者が施設に子どもを連れてきて、夕方迎えに来るというような・・・」
「あぁ、なるほど。
・・・幼児の学校のようなところですね」
そんなやり取りを続けながらも事務的に聞き取りを行って、最後に書類の内容を確認してサインをして、一番最後にはインクを指につけてペタンと押した。
書類を封筒に入れて、蝋で封をする。
「これで、聞き取りは一通り終わりました」
初めて見る物が多かった私は、視線が釘付けになってしまっていたようで、彼の言葉で我に返る。
ジェイドさんはキリっとしていた顔を緩めて、お茶をひと口啜った。
そんな彼の様子に私もほっとして、肩の力を抜く。
「それで、子守をお願いする子どもと、その両親に会ってもらいますが・・・」
「はい」
カップを置いて背筋を伸ばした私に、彼はしばらく考えるそぶりを見せた。
「マツダさんは、礼儀作法については何か勉強してきましたか?」
「え?」
当然といえば当然の質問だった。
・・・そういえば院長に確認しなかった。すっかり頭から抜け落ちてしまっていたようだ。
そして、半ば無意識に首を横に振っていた。
「すみません、全く・・・。
目上の方に失礼がないように、振舞えるとは思うんですけど・・・」
「そうですか・・・」
やはり問題があるのか。
ここまできて、不採用なんてこともあるのかも知れないな・・・と不安になっていたら、何かを思案しているような表情の彼が、やがて表情を引き締めて切り出した。
「いえ、ここで会話をしている限り大丈夫だとは思うのですが・・・。
実は・・・不愉快にさせてしまうのは承知でお話しますね。
渡り人の、この国での歴史はご存知ですか?」
こちらを気遣ってくれた言い方に感謝しつつ、私はリュケル先生が列車の中で、気をつけるようにと話してくれた内容を思い出していた。
「はい・・・リュケル先生が教えてくれました」
先生の名前が出た途端に、片方の眉がぴくん、と跳ね上がる。
口元も、若干ひきつりましたよね。
そんなに、彼の知っているリュケルさんのことが嫌いなのか・・・。
「・・・そうですか。
ちなみに、どんな内容だったのか教えてもらえますか?」
「はい。ええと・・・。
昔は渡り人の人権がほとんどなかったことと・・・。
今も、渡り人に偏見を持っている人がいる、って・・・。
大体そんな話だったとは思うんですけど・・・合ってますか?」
実はあの時リュケル先生の距離が近すぎて、あまり内容が耳に入らなかった。
本当に大体の内容しか頭に残っていないけれど、それでも大丈夫なのだろうか。
反応を伺うように話せば、彼は難しいカオをしたまま頷く。
「そうですね、概ね合っていると思いますよ。
それを踏まえて付け加えるとするなら、そうですねぇ・・・」
そこまで言って、彼がとても爽やかに微笑んだ。
「能なしなのに偉そうにしている国のゴミがいたら、なるべく関わらない。
それくらいでしょうかね」
とっても爽やかに、黒い事を言い切ってくれる。
彼が普段何の仕事をしているのかは知らないけれど、きっと相当ストレスが溜まるようなことをさせられているのだろう、と少しだけ同情してしまった。
今回のような人事を左右するような人ならば、板ばさみの中間管理職・・・かも知れないし。
「・・・ええと、分かりやすいアドバイス、ありがとうございます」
そんな反応しかできない私に、彼は満足そうに微笑んで言う。
「あぁ、そうでした。
礼儀作法の件は、ひとまず大丈夫だとは思います。
目上の人間には敬語を遣うこと。
廊下ですれ違う時は、中央を空けて、頭を下げて通り過ぎるのを待つ。
・・・それくらいですね」
「はい・・・」
言われたことを心の中で繰り返す。
きっと目上の人間ばかりだろうから、数メートル進むのに時間がかかりそうだ・・・。
そんな想像を働かせていた私を見ていた彼が、「それじゃ」と言った。
「あなたに世話をお願いする子どもに、会いに行きましょうか」
廊下に出ると、ジェイドさんは部屋の外に待機していた侍女さんに一言何か断って、歩き出した。
私も慌てて、侍女さんに会釈をして小走りに後を追う。
背中に「いってらっしゃいませ」と、無機質な声が掛けられる。
けれど、彼が全く意に介さない様子なのに振り返るのはおかしいかも知れない、と思うと躊躇われて、私はそのまま彼の隣に並んだ。
「あ、隣に並んでても問題ないですか?」
聞いた話の内容だと、目上の人に道を譲るのだから、目上である彼と並んで歩くのはマナー違反ということになる気がする。
隣で見上げた私を見て、彼は今日何度目になるか分からない微笑みを向けてくれた。
その笑顔は穏やかで、見ていてほっとする。
「・・・大丈夫ですよ。
私はそこまで偉い人間でもないですから」
その一言に、やっぱり普通の人と一緒だと安心するなぁ、なんて、よく分からない感想を抱きながら、私は彼と並んで歩いたのだった。
そうして、階段を上がって廊下をさらに進んでいくと、赤かった絨毯があるところから青いものに変わっているのが分かった。
よく見たら、今まで照明がついてなかったけれど、青い絨毯の一帯だけは照明が点灯していて、とても厳かな雰囲気がある。
しかも、このフロアに上がってきてから、赤いコインを手首に巻いた騎士が、巡回しているのが目に入ってきた。
なんだか、物々しい。
ふと、ジェイドさんが足を止める。
私も同じように足を止めると、そこは大きな扉の前だった。
「・・・え?
ここですか・・・?」
こんな所に子どもがいるとは思えない・・・。
そんな不安を抱えた私の小さな声にも、彼はニコリと笑って扉をノックする。
その笑顔を見たことがある私は、なんだか嫌な予感がして一歩下がってしまった。
「心の準備はいいですか?・・・開けますよ」
言いながら重そうな扉をさらっと開ける彼。
・・・この場合、私の返事はどちらでも構わないのだろう。
ぎぎぎ・・・と硬い音がして、扉がゆっくりと開いていく。
そして、煌びやかなホールのような場所が目に入ってきた。
「・・・マツダさん?」
ジェイドさんが私を呼んでいる。
当の私はと言えば、ホールに1歩踏み出して固まっていた。
・・・確か、子どもと会うためにここへやって来たはずなのだけれど・・・。
背後でぎぎぎっ、と開けた時と同じ音がしている。
「マツダさん・・・?」
私は、真っ直ぐ前を指差して、彼を見上げた。
自分でも口がだらしなく、ぽかん、と開いているのが分かる。
「まさか子どもって、あれですか・・・?」
他に何と訪ねたら良かったのか分からない私の視線の先には、1人の男性が立っていた。