渡り廊下を渡ったら

12



「子どもって、あれですか・・・・?」


指差した方角には、1人の男の人。
恐る恐る隣に立っているジェイドさんに尋ねると、彼が急に動いた。
ホールの広さと豪華さに半ば呆然としていた私は、その動きに翻弄される。
彼は私と目を合わせたかと思えば、次の瞬間には男の人を指した私の指をぎゅっと握りこんで、そのままぐるりと勢いよく、体を180度回転させたのだ。
急な方向転換に目が回りそうになりつつも、彼が今入ってきたばかりの扉を目指そうと歩き出すのに、必死について行く。
息を飲んで、されるがままにしていたら、ふいに彼が顔を顰めたまま私を見た。
「マツダさん、あなたって人は・・・」
声をひそめて叱咤されて、その苛立ったような声色に戸惑ってしまう。
「えっ?」
「あの人はね、今一番会いたくない人なんです」
「・・・ごっ、ごめんなさ・・・っ!!」
会いたくない人、というのがどういう位置の人なのかは分からないけれど、とりあえずこの場から離れた方が良いと彼が判断したのだ。
私は謝って大人しくついて行くしかない。
「とにかく一度、私の部屋に・・・・」
「おいそこの2人」
私の足が絡まりそうになりながらも、やっとのことで扉の前に辿り着いたところで、やはりと言うべきか、男の人から声がかかった。
ぴた、と動きを止めて、私達はほとんど同時に振り返った。
『・・・はい』
見事に2人の声が重なった。





「とりあえず、こちらへ来い」
大きな声でもないのに、なぜかよく響く声。
少し離れていて、やっと目が合っているのが分かるくらいなのに、視線を逸らすことが出来ないくらいの力のある瞳。
私とジェイドさんは、肩を並べて男の人の所まで歩く。
はぁぁー、と大きなため息が隣で響いて、私は慌てて謝った。
「すみません、私のせいで・・・軽率でした・・・」
「いえ、いいんですよ。
 こういう展開を想定しなかった私も甘かったのです」
優しく微笑んで、彼は私のことを見下ろしていた。
その瞳には、先程のような苛立ちを見つけることは出来ない。
「もっとちゃんと、言い聞かせておくべきでしたね」
胸を撫で下ろしたところで、彼の呟きが聞こえてきた。
私には言葉の意図がよく分からないけれども、どうやら酷い状況ではなさそうだ。

男の人の目の前までやってくると、その体格の良さや、威厳に満ちた風貌や、とてつもない目力に圧倒されて足が竦んでしまった。
私が逆らったり、あまつさえ指差していい相手ではないことが、本能で分かる。
どことなく、野生の獣を思わせるような、そんな雰囲気の人だ。
すると、隣に並んだジェイドさんは腕を組み、一緒に過ごしているこの短い間で見たことのない、不遜な態度で目の前の男の人に対峙した。
小心者の私には、こうして真っ直ぐに向き合っているのが精一杯なのに・・・。

「それで、」
空気がぴりっとする。
「朝っぱらから女を連れ込むとは、隅におけないな、ジェイド」
ジェイドさんに向かって、明け透けに物を言う。
ただ佇んでいるだけで、あれだけのオーラを発していた人だけれど、口を開けば一転して気安い態度と表情に肩透かしを食らった気分だ。
それにしても、連れ込むだなんて、穏やかじゃない・・・。
思いながらも、私はそれを飲み込んだ。否定するだけの勇気はないのだ。
ジェイドさんは、そんな私を横目でちらりと見てから口を開く。
全く臆する様子もなく、ましてや少し上から物を言おうとしているのが分かって、見ているだけの私の方がひやりとさせられた。
「連れ込むだなんて言うのは、一体どの口です?
 私達は業務上必要があって、一緒にここに来ただけですよ」
ジェイドさんの言葉に、彼は口角を上げる。
こちらもこちらで、私は、なんだかその含みのある態度が気になってしまう。
「そんなことより・・・なぜあなたのような方が、このような場所に?」
ジェイドさんの質問に彼が、うっ、と言葉に詰まった。
それをとっかかりにしたのか、ジェイドさんが一歩前へ出る。
すると彼は、ジェイドさんから離れるようにして一歩さがった。
「・・・朝議はどうしました・・・?
 昨日の夜の打ち合わせは、一体誰のためだったんです・・・?!」
大きくため息を吐いたジェイドさんが、額に手を当てて天を仰いだ。
何か、良くないことが起きたらしい。
「言いましたよね、国境付近に難民が押し寄せてきているって!
 蒼鬼殿の帰還を待って、全員で現状把握しようって言い出したのあんたでしょうが!!」
感情の蓋が外れたのか、ジェイドさんが大きな声で相手を非難する。
しかしそんなジェイドさんの様子を意に介することもなく、彼は胸を張った。
私には、責められて胸を張れるような、鉄の心臓は用意出来そうにない。
「余はお前がいないと不安なのだ!」
・・・こういうやり取りを頻繁にしていたら、胃に穴が開きそうだ。
隣で私の肩に手をついて、打ちひしがれているジェイドさんに心底同情してしまう。
今日が初対面だというのに、なんだか親近感に似た感情を抱いてしまいそうだ。
そして、ジェイドさんがお疲れのようなので、私も勇気を振り絞って、目の前の彼に名乗ってみることにした。

「あのー・・・」
そっと、声を出してみる。
すると、すぐに彼の視線が私に向いた。
何も言わず、ただ私の言葉の続きを待っている姿からは、足の竦むような厳しさを滲ませていた雰囲気は一切感じられなくなっている。
それに気づいて、私は口角を上げた。

「私、ミナ=マツダといいます。
 蒼鬼殿から、子守のお仕事を紹介してもらったので、参りました」
そこまで言うと、彼の視線が私の胸元に注がれたのが分かった。
小さく声が漏れた気配に、この人もコインについて思うところがあるのか、などと一瞬気が逸れてしまう。
私はゆっくり息を吸うと、ほんの少し動揺した心を宥めようと胸元に指先を這わせる。
コツンのぶつかるコインの感触を受け取って、口を開いた。
「さっきはすみませんでした。指差したりして・・・。
 お名前、伺ってもいいですか・・・?
 ジェイドさんの、同僚の方なんですよね・・・?」
顔色を伺いながら尋ねると彼は、ふっと笑う。
鼻で笑っているのとは違う、思わず噴出したというような笑い声に、私は小首を傾げる。
「・・・同僚といえば同僚だが・・・。
 お前、こいつの仕事を知ってるのか?」
彼はジェイドさんにちらりと視線を走らせて、人の悪いニヤリとした笑みを浮かべた。

隣のジェイドさんが、大きくため息を吐く。
私は彼の問いかけに、小さく首を振った。
そういえば、担当事務官だと思い込んでいたけれど、違うのかも知れないなどと今になって気になってしまう。
そわそわと落ち着かなく指先を擦り合わせて、彼が教えてくれるのを待った。
すると、「そうか、知らないのか」と彼が楽しそうに肩を揺らす。
「ジェイドはな、この国で2番目に偉い奴なのだぞ」
「・・・こら陛下」
依然として私の肩を支えにして、ため息をついていたジェイドさんが、瞳に剣呑な光をたたえながら低い声で言った。
「えっ・・・?
 ・・・えっ?!」
人を指差して謝ったばかりの私だったけれど、そんなこともすっかり忘れてしまうほどの驚愕の事実を受け止められずにジェイドさんと彼のことを交互に指差す。

・・・そんなことって、ありますか神様・・・。
半ばパニックになりながらも、一度も本気で祈ったことのない神様に向けて内心で呟いた。

そんな私を見て、彼・・・ジェイドさん曰く「陛下」だそうだ・・・は、豪快かつ、いかにも楽しそうに大声で笑ってくれる。

ジェイドさんはと言うと、1人で楽しそうにしている陛下を見ながら、握りこんだ拳をふるふると震わせていた。

私には出来ないけれど、いっそのこと鉄拳制裁をしてくれてもいいと思う。
そう思えてしまうくらいに、私はこの衝撃を持て余していた。
いや、混乱していたと言ってもいい。



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