渡り廊下を渡ったら


しかし、おかしい。私の何がこんなにロイヤルな面々に繋がるというのか。
どうしようもなく、やるせない気持ちになる。
私は普通に働いて、普通に自立して、もといた世界で出来るはずだったことを、この世界で取り返すつもりで・・・それだけなのだけれど・・・。

「マツダさん?」
「マツダ?」
2人が私の顔を覗き込んだ。
陛下とジェイドさんの地位も理解してから、すぐに現実逃避をしていた私は、額に手を当てて大きなため息をついた。
一歩後ろへさがる。

「取り乱してすみませんでした。
 何も知らなかったとはいえ、無礼が過ぎました・・・」
言い馴れない言い回しをしている自分を、どこか冷静に見ていると、それまで静かに私を見つめていた陛下が、どういうわけか踏ん反り返って言った。
「別に、無礼ではないぞ」
ジェイドさんはそんな陛下の背中をグイっと押し戻す。
「いいんですよ、こんな給料泥棒に謝罪など不要ですから」
「ふん」
ずいぶんな言い様だけれど、陛下が気にした様子はなかった。
自覚があるのか、耳にタコなのか・・・どちらにして、彼が不敬だと感じているのでなければ、私に罰が与えられるわけでもなさそうだ。
胸の内で、よかったと呟いた私は、きゅっと引き結んでいた唇から力を抜いた。
「・・・不敬でなかったのなら、安心しました。ありがとうございます。
 それでは、私はこのへんで・・・あの、お世話になりました。
 私のような馬の骨では務まらないと思いますし、孤児院に戻ります」
私は2人を交互に見てから、短く言って頭を下げる。

そしてすぐに踵を返して、元来た方へ歩き出した。

・・・団長は、王宮の中で子守を必要としている人がいる、と言ったのだ。私はそれがまさか、国で2番めに権力のある方が絡む求人だったなど、予想もしていなかった。
ただの気楽なベビーシッターかと思っていたのだ。
けれど、この様子ではそうではなさそうだ。
それならば、この話はなかったことにしてもらうのが一番良い気がする。今ならまだ、院長と団長にかかる迷惑も少なくて済むだろう。

その時だ。

「そうはいかん」
陛下の声が耳元で響いて、驚いて肩をそびやかしたところで突然視界が反転して、足が浮いたと思えば浮遊感に眩暈がする。
自分の体がどこにあるのか、すぐには分からなくて思わず手で触れたものにしがみついてしまった。
「・・・お前には、余の息子の子守をしてもらわなくてはならんのだ」
また耳元で陛下の声が響いて、驚いて私は仰け反った。

こともあろうに陛下にお姫様抱っこされている。
それが理解出来た瞬間に、私はなりふり構わず足をばたつかせた。
・・・この際相手が陛下であっても構わないと思った。
人権が優先される、渡り人に優しい国のはずなのだから。

「おっ、下ろして下さい!今すぐっ!」
「・・・はっはっはっは!」
陛下が全く聞く耳を持たないので、肩越しに見えるジェイドさんに助けを求める。
もはや、これだけ体格の良い彼に捕まってしまっては、私がもがいたところで引掻き傷を作るくらいが関の山だろう。
「・・・ジェイドさん助けて下さい・・・!」
すると、私の悲鳴に近い言葉にジェイドさんはにっこり笑ってくれた。
その笑顔がどこか黒い気がすることには、いっそのこと気づかなかったと目を瞑ろう。
「ええ、任せて下さい」
言うなり、ジェイドさんが陛下の腰のあたりを、バシン!、と一蹴した。
文字通り、蹴ったのだ。

「ぐぁっ!!!」
まるで悪役のように、陛下が呻いて膝をつく。

私はその隙に陛下の腕を抜け出して、ジェイドさんの背中に隠れた。
「ありがとうございます・・・!」
小声で背中に向かって囁けば、ジェイドさんは振り返って爽やかに笑う。
ヒーローさながらだ。
どうやら私には、黒い笑顔は封印してくれるらしい。
そんなことを考えつつも、私は鼓動が全力疾走した後のようになっているのを、深呼吸をして整えていた。
そして、ジェイドさんはやっと立ち上がった陛下に言う。
「リオン君に、マツダさんに会ってもらいますが・・・またサボられても困るので、
 この際ですから陛下も一緒に来ますか?」

ジェイドさん、背中に「不本意」って書いてありますよ。






本当は陛下に出くわしたホールで、私が子守をする子どもとその母親・・・この場合、皇子様とお妃様ということになる・・・に会う予定だったけれど、母親の体調があまり良くないというので、私室での対面に変更になったそうだ。

あの機械のような侍女さんに連絡したということだけれど、その時にはもう私達はこのホールへ向かってしまった後だったという。
そういうわけで、陛下はそれを伝えるために、ホールに待っていたそうなのだ。

たまたま廊下をぶらぶらしていたら、侍女に呼び止められて伝言をお願いされたのだと、ご本人は主張していたが、まず間違いなく「サボってふらふらしていたら、困っている侍女がいたから自分から申し出た」ということなのだろう。

ジェイドさんが、盛大にため息をつきながら解説してくれたのに頷いて、私は陛下を見る。
何食わぬ顔で歩いている様子を見る限り、どうやらこういった事態は、今回が初めてではなさそうだ。

それから、道すがら仕事に関してジェイドさんと話をしながら歩いた。




私がこれから世話をするのは、陛下の2人目の奥様であるシュレイラ様の1人目のお子様で、名前をリオルレイド様というらしい。
まだ4歳の男の子だ。
シュレイラ様は20歳ということだけれど・・・その辺りの事情は、気にしないようにしよう、と私は歩きながら固く決意する。

その奥様は、現在第2子を妊娠していて、身体が辛いから子守をお願いしよう、ということになったらしい。
この国の人達は、やんごとない方々であっても、基本的に自分で子育てをすることになっているのだという。

もう何代も前に遡るが、それはもう酷く血で血を洗うような、お家騒動があったのだそうだ。
親が子を犠牲にして、子が親を罠にはめて・・・。
結果、その時代に君臨した王は、自分の身内が1人もいなくなってしまった状況を嘆いて、今後は家庭不和にならないように、工夫をしたわけだ。
つまり、自分の子どもを愛情持って育てて、親子愛のある関係を築くこと。
お互いに思いやり、譲り合い、信頼し合う関係を望んだのだ。

当初は、お家騒動に絡めて甘い蜜を吸ってきた権力者達の邪魔が入って四苦八苦したようだけれど、最近では奥様同士も協力関係を結び、子ども達も誰の子であっても、何番目であっても、将来を協力して担う意識を持つ傾向にあるという。
かの王の大革命は、とても良い方向へと転がったわけだ。

・・・というわけで、子守は乳母ではない。
あくまで親の目の届くところで、母親の代わりに遊んだり、生活の世話をするという、ベビーシッターのような役割だと、話を聞いて理解した。

・・・結局、私は仕事を引き受けることになったのか、という根本的なところは、この際なので飲み込むことにした。
きっと今さら首を横に振ろうとしても、ジェイドさんか陛下の両手でがっしりと頭を固定されるに決まっているのだから。

それに・・・と思いを馳せる。

せっかく団長が私のためにコインを外してくれたのだ。
後見をするということは、責任を持つということに他ならない。
万が一悲惨な職場であったとしても、ほとんど初対面の渡り人の後見人を申し出てくれた彼に申し訳ないので、頑張って2年は働いてみようと思う。

・・・彼自身が、実はロクでもない人間だという方向に考えを持っていくつもりはさらさらなかった。
彼は良い人に違いない。
これはもはや直感だから、これ以上の説明のしようもないのだけれど、とにかく、私は彼に信じてもらった分の働きをしよう、と思って王都に出てきたのだ。




そんなことを考えているうちに、私はシュレイラ様のお部屋の前まで来てしまっていた。
もうここまで来たら引き下がれない。
・・・そういえば院長が、同じことを言っていた。

「さ、開けますよ」
ジェイドさんは目だけで私に確認して、ゆっくりノックをした・・・。



私はゆっくり深呼吸する。
自分の心臓の音が、またしても全力疾走した後のように、煩く耳に響いていた。


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