渡り廊下を渡ったら
「よし、やりますか」
ジョウロに水をためて、中庭にたくさんある花壇に水をやる。
いつもは料理長のお仕事だけど、今日は私が代わりにやらせてもらおう。
太陽が昇りきる前だからか、まだ少し肌寒い。でも、空気は澄んでいて気持ちが良い。
小学生の頃の夏休みの朝って、こんな感じだったな。
何かにつけては過去を振り返ってしまう自分に、自嘲気味に頬を緩める。
するとパキリ、と乾いた音がした。
この中庭には、たまにヒツジに似た動物がやってくることがある。
草食でおとなしいので、院長も料理長もユタさんも全く構わないから、私もそっとしておいているのだけど・・・。
今もきっと、初夏に茂るやわらかい葉を選んで食べに来たのだろう。
すこしずつ空の明るさが増してくる中、水やりを続ける。
「・・・おい」
「ぅわっ!」

がっしゃん!
ぱしゃっ

「・・・・・・だいじょうぶか」
「だだだだいじょうぶです・・・」
あぁびっくりした、と言いつつジョウロを拾い上げる。
水がほとんどこぼれてしまった。
そんなことよりも、いきなり声をかけられて驚いてしまった。
「・・・悪いことをした」
言葉とは裏腹に、全くそう思っていなさそうな雰囲気の声が、頭上から降ってきた。
ふと顔を上げてみると、
「あれ?」
なんだか見覚えのある顔だった。
茶色い髪に、深い緑の目の・・・。
「・・・あぁ、ナイフの刺さったお兄さんでしたか」
何の会話もない出会いだったので、失礼な言葉しか出てこない。
突然声をかけられて、驚いたせいではない。決して。
当の本人も、私の口から出た物騒な台詞に、微妙な表情でうなづいた。
あの時は、痛みで眉間にしわが寄ってたのかと思ったけど、もともとこういう顔なんだな。
せっかく綺麗な顔をしているのに、なんだかもったいない。
「昨日は手を煩わせてすまなかった」
「いえ。もう出歩いていて大丈夫なんですか?
 見た感じ、大怪我でしたけど・・・?」
ナイフが刺さっていたのだ。あれを抜いたら、当然血がたくさん出て、包帯でぐるぐる巻きになると思うのだけど・・・。
目の前のお兄さんは、かすり傷ひとつないように見える。
「力を入れたら、筋肉の部分で止まったらしい。
 ・・・結果、たいした傷にはならずに済んだ」
さらっとバリトンが響く。
私は目が点になった。
そういう理屈が通る世界だったとは・・・。
「騎士団の方は、そんな器用なことができるんですか」
「なんにせよ、背中の傷は恥だ。あってはならないな。
 最近は大きな戦闘の心配もなくなって、気が緩んだのかも知れないな」
身も蓋もない。
たいして会話をしていないはずなのに、気づいたら中庭には朝日が届いて、水やりをした植物たちが、キラキラ輝いていた。
もうすぐ孤児院の1日が始まる時間だ。
誰かが渡り廊下から私達を見かけるかも知れない、と頭のどこかで思いつつ、私はお兄さんに向かって口を開いた。
「でも、誇りや名誉のために命を粗末にするのは、馬鹿馬鹿しいことだと思いますよ」
そう言ってから、口から出て行った言葉の温度のなさに自分で驚いてしまった。
そして、ああ、と思い至る。
私はこの人の心配をしていたんだ、と。
ジョウロをひと撫でして、お兄さんに笑いかける。
「いち庶民の私にとっては、ですけど。
 私たちが安心して生活できるのは、騎士団のおかげです。本当に感謝してます。
 でも、怪我をして運ばれてこなければ、なお安心ですから・・・」
「・・・そうか」
「はい」
昨日も思ったけれど、お兄さんはやっぱり背が高い。
こうして並んで立ってみると、私の目線と、お兄さんの目線では、見える世界が微妙に違うのではないかと思える。
・・・まぁ、それはそうだろうけれど。
「そういえば・・・」
「はい」
お兄さんに向き直って返事をする。
見れば、何かを考えながら言葉をつなごうとする姿。
何を考えているのかを知りたいと思うのは、少し図々しいだろうか。
「あまり見ない髪の色をしているが・・・・」
ぴき、と思わず顔がこわばる。
・・・来た。
何度かこの手の質問はされたことがある。
茶髪やグレー、金髪と、2次元に引けをとらないほど、私の渡ってきた世界は容姿のバリエーションが豊富だ。
私の髪の色が目に留まるのは、同じ学校にハーフの生徒がいたら目を引くのと一緒だろう、と勝手に納得しているけれど・・・。
黒髪は、いないこともないのだ。
私も実際見かけたことがある。
ただ、真っ黒ではないのだ。光の加減によっては、紫や青みがかった黒に見える。
きっと黒髪と金髪のハーフ、といった要領で、いろんな髪色が混ざりながら伝わっているのだろう。
あれはあれで、とってもきれいだったから正直うらやましいと思っているのだけど。
「・・・そう、なんですよね・・・。
 ご先祖さまの中に、黒髪がいたのかも知れません・・・」
よく分からないんです、という言い方の中に、尋ねる両親もいない、というニュアンスを含ませる。
今までは、これで悲しげにうつむいておけば、大体の人は気を遣って、上手く話を変えてくれた。
「・・・そうか」
「はい」
お兄さんも気まずそうに相槌をうって、それっきり黙りこむ。
今回もこのテで場をしのぐことが出来そうな予感に、私はこっそり息をついて、近くの水場でジョウロに水を入れ直した。
そこへ、
「おはよう」
「院長!」
朝からほんわか笑顔の院長が、渡り廊下から手を振っていた。

「おはようございます」
ジョウロを置いて、渡り廊下へと小走りに駆ける。
「うふふ、朝から元気ねぇ」
「はい!
 昨日早めに休ませてもらったので、元気が余ってます!」
いいことだわ、とうなずいた院長は、視線を遠くにやって、花壇の前に佇んでいたお兄さんにも声をかけた。
「おはよう。お加減はいかが?」
それに気づいたお兄さんは、返事をしながらやってきた。
歩幅が広すぎて、私が小走りに駆けた距離をあっという間に追いついてくる。
これは、追いかけられたら逃げ切れないだろうな、なんてよく分からない感想を抱いてしまった。
「おはようございます。
 おかげさまで、大事に至らずに済みました」
「それはよかったわ」
院長が大きく頷いた。
お兄さんと話す院長はどこか威厳を感じさせて、その姿に、私は内心で感嘆した。
そして近隣の治安やら捕らえた夜盗の処遇やら、さらに王宮での人事に関することやら、難しい話題に移った2人のやりとりを、静かに聞いていた。
そうしているうちに子ども達の声が聞こえ始めて、院長は私に視線を向けた。
「あ、そうそう」
「なんでしょう?」
突然のことに我に返った私は、小首を傾げて尋ねる。
院長は微笑んだまま言った。
「昨日、負傷した騎士のお世話をお願いしたいと言ったでしょう?」
「あぁ、はい。そうでした」
気を失ったり、背中にナイフの衝撃ですっかり忘れていた。
「この方のお世話をお願いね」
さらっと言い放つ院長。
「この方って、このお兄さんのことですか?」
「ええ」
さわやかに、いつもの笑顔で私に言う。
子ども達が食堂に移動する気配がする。
コの字に建てられた孤児院には、母屋から渡り廊下でつながる離れが2棟ある。
私達のいる渡り廊下は、職員やお客さんの使う離れの方だからか、とても静かだ。
お兄さんが眉間にしわを寄せて、院長に反論する。
「いや、私は王都に帰還しなくては、」
「おだまりなさい」
にっこり、とってもよろしい笑顔でお兄さんを一刀両断する院長。
いつもの院長はどこですか。
心の中で変な汗をかきつつ、私も院長に尋ねる。
「あの、見た感じ怪我も大したことなさそうですよ?」
「そう?」
そう言って、院長はお兄さんを手招きする。
「・・・・?」
訝しげにしながらも、お兄さんは素直に院長に近づいてゆき・・・・・
つんつんっ
院長がすごい速さでお兄さんの左肩をつついた。
「っ!!」
「だっ!大丈夫ですか?!」
渡り廊下の柱に手をついて、悶絶するお兄さん。
ひざをつかないのは、騎士という肩書きのなせる業か。
「というわけなので、お世話よろしくね」
また院長はにっこりして、今度はいつもの笑顔で、私に向かって言う。
その笑顔、実は作り置きされたものなんじゃないか、なんて思ってしまった。
「わっ、わかりました!」
この場合何を言ってもいい方には転ばないだろう。
長いものには巻かれておいて損はないはずだ。
「院長、あなたという人は・・・・!」
若干苛立ちの混じる声で、お兄さんは院長の方へ向き直る。
もう痛くないのかな。あんまり院長にたてつかない方がいいと思うんだけど・・・。
「私はね、あなたに休息をとってもらいたいだけよ。
 2、3日でいいからゆっくりしていってちょうだい。
 他の騎士たちは手当てをしたら帰還可能だそうだから、何も心配しなくていいわ。
 副団長も無傷だし、みんなまとめて連れて帰ってもらいましょう」
途中からは、いつもの穏やかな院長に戻って、お兄さんに話しかけた。
お兄さんも、そんな様子を見て何か感じたのだろうか、しぶしぶ了承した。
「そういえば、あなた自己紹介したの?」
「いえ」
お兄さんの間髪入れない返事に、院長は今度はため息をつく。
今日の院長は、コロコロ表情が変わって可愛らしい。
目で合図をされたお兄さんは、私の方へ向き直って口を開いた。
「蒼の騎士団、団長のシュバリエルガだ。
 特に手を貸してもらうこともないと思うが、世話になる」
名乗った途端、なぜか威厳に満ちた姿に変わる。
いや、私が彼の肩書きを聞いてしまったからなのかも知れないけれど。
「えっと、団長さんだったんですね。
 私階級なしの騎士さまかと思ってました・・・。
 スミマセン、何かと無礼でした」
一応だが、一言謝っておく。
権力のある人に悪印象与えて、いいことなんてないと思うのだ。
院長は、静かに私達のやりとりを聞いているようでもあるし、こっそり団長を観察しているようにも見える。
「いや、私こそ、世話になる身だ。先に名乗るべきだった」
院長が静かな声で口を挟んだ。
「それじゃあ、私は副団長たちと話をしてくるわね。
 今日と明日は孤児院の仕事はしなくていいから、団長と一緒に。
 あなたも最近、休息が足りていないと思うわ」
前半はいまだに腑に落ちない何かを抱えているように見える団長に、後半は私に向けて言って、院長は鼻唄混じりに母屋の方へ去っていった。

「ええっと・・・」
院長がいなくなって、急に沈黙が落ちた。
彼女が来るまでは会話がゆっくりでも気にならなかったのに・・・。
きっと彼の肩書きを知ってしまって、こちらが機嫌を伺う立場になってしまったことを自覚しているからだ。
目上の人に、言葉をどう選んだらいいのか分からず、私はどうしたものかと考えていた。
そして、何か話さなくてはと気が焦ったところで、名乗っていなかったことに気づく。
「あ、私はマツダ=ミナといいます」
「マチダ?」
「いえ、マツダです」
「・・・・・・・難しい発音だ」
「わかっています」
団長も私も、難しい顔をして名前を繰り返す。
はたから見たら、とても険悪なムードに見えることだろう。
けれど実際は、心底不思議な光景だ。
「マツィーダ」
耳がおかしくなるくらいに繰り返されて、だんだんと変形してきた私の名前。
もうなんでもよくなってしまった。
「もうそれでいきましょう」
根気よく繰り返し発音しているのに、名前の完成する気配が全くない団長に、私の方が先に音をあげたのだった。
今思えば、マツダじゃなくて、他の人たちはミナの方で呼ぶってこと、教えてあげるべきだったのか。
これじゃなんか、どこぞの野球選手みたいじゃないか。
ちら、と隣を見れば、納得いかない様子の団長。
その眉間のしわに、私はこっそりため息をついたのだった。

< 6 / 29 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop