【完】『賀茂の流れに』
17 しあわせのガバチョ
梅の季節が来た。
近所の漬物屋の店先の白梅の樹が満開になると、エマたちの事務所にも梅の芳しい香りが漂ってくる。
が。
翔一郎は、例の彦根での件から、しょげかえってしまったままである。
(よっぽどこたえたんだろうなあ)
無理もない。
何しろ帰れる場所を失ってしまったのである。
想像は計り知れない。
あるときには。
エマは何とか元気を取り戻してもらいたい一心で、
「じゃーん! ねぇねぇ、翔くん…どう?」
といって胸元のあいた谷間を強調した服を着て、扇情を試みた。
見るなり、
「エマはスタイルえぇから、よう似合うで」
といって翔一郎は情の厚い面があってハグはしてくれたが、それより先は進展がない。
(もともと翔くんは性欲が淡泊だからなあ)
少し失敗したな、とエマは翔一郎の胸で、困った顔をするのであった。
月が変わった。
宝鏡寺に雛人形が並ぶ頃、エマは四条高倉の大丸でポイントを貯めに寄ったあと、錦天神のそばの雑貨屋で値引きされていた、ドン・ガバチョの小さな縫いぐるみを買った。
西陣に帰ると、
「エマもたまに、おもろいモン買うてくるなあ」
なぜか翔一郎は妙にツボにハマったらしく、
「ちょっとおもろいことやったる」
というと通り庭からリトルカブを玄関先へ出し、そのメーターのバイザーの辺へ載せて、ガバチョの縫いぐるみの後ろ姿をなぜか撮影した。
「どや、これやったらまるでガバチョがバイクで旅してるみたいやろ」
一眼レフのディスプレイには、バイザー越しに前を眺めるガバチョの姿が写っている。
「まぁ受け売りやけどな」
エマにはピンと来た。
毎週末に関西のローカルで流れている旅番組で、犬の縫いぐるみが世界各地をめぐるというものである。
「今度ガバチョに京都の旅さしたろかな」
「それ面白そうだよね」
こんなノリで、まずは近場の北野天満宮にガバチョを持って行き、参拝かたがた何枚か撮って、
──ガバチョの旅。
という仮タイトルをつけ、ホームページにあるブログでアップしてみた。
すると。
翌日から急にコメントが入り始め、
「ガバチョの旅、シリーズ化してください」
というリクエストが来たのである。
次は、同じ近場の平野神社に早咲きの桜を撮りに出たついでに「ガバチョの花見」として撮ったものを掲載した。
これも意外にウケたらしく、やたらと女の子らしき名前のコメントが目立った。
さらに今度は、
「うちの寺でガバチョの旅シリーズの撮影をしませんか」
と、大徳寺の塔頭から依頼が来たのである。
そこで。
人力車に乗ったり、枯山水の庭園を眺めるガバチョの旅を撮った。
譲ってもらうよう頼まれた写真はデータを焼いたロムで塔頭に実費で渡し、許可を得てまた載せた。
こうなると。
「次のガバチョの旅シリーズが楽しみです」
といったコメントやら、中にはリクエストで、
「龍安寺の石庭で撮影して欲しい」
といったものもあって、たちまち半月で十ヶ所近く回る忙しさとなり、人気シリーズになった。
さらには。
「車イスで動けないので、代わりにガバチョに清水寺を旅して欲しい」
というので、翔一郎が汗だくになりながら撮影した、音羽の滝や舞台をガバチョが観光する清水寺編が作られた。
これは車イスのユーザーにウケたようで、
「まるで代参してもらってるみたいだ」
という反応が来た。
こうなると。
「ガバチョの旅シリーズを写真集にしませんか?」
ほっとかないのが書籍の業界である。
出版社から話が舞い込んで、ブログの読者から要望もあったので翔一郎はとりあえず出した。
風景の写真集は、そもそも一万部も売れればヒットの世界である。
これが。
「ガバチョの旅」シリーズはいきなり初版が品切れ、追加した重版もすぐ品薄となって、あろうことか十万部という、かつて編集部が見たこともないような売り上げを叩き出したのである。
くどいが一万部でヒットの業界である。
途方もない現象となった。
その直後。
「饗庭センセ、えらいこってす!」
飛び込んできた編集者が印刷した紙切れを持ってきたのだが、
「おい…ランキングで一位になっとるやないか」
見るとランキングが載っていた。
しかも。
翔一郎がビックリしたのは二位以下である。
並みいるアイドルの写真集を抑え、「ガバチョの旅」シリーズが一位にいるではないか。
「いよいよヒットメーカーの仲間入りですねー」
とはしゃぐ編集者とは対照的に、翔一郎は少し曇った顔をすると、そそくさ二階へ上がったのである。
すかさず。
エマも二階へ上がった。
「翔くん、…どうしたの?」
「エマ…これはうちらにすれば一大事やぞ」
かつて陣内一誠が實平あさ美と熱愛で報道されたときのような事態に、次は自分たちが曝されるということに翔一郎は気づいたらしいのである。
「今までみたいには行かんようになるで」
「それでもいいじゃん」
うちらはうちらで変わらないんだから、とエマはいった。
「人ってそうじゃん、何か失ったから、何か得るものがあるって」
よく翔くん口癖で話してるじゃん──エマは明るくいった。
「そうかなぁ」
「大丈夫だって」
あたしがいるから──エマは背後から翔一郎をふんわり抱き締め、
「翔くんは、あたしがいないと駄目なんだからさ」
そういうと、頭を優しく撫でた。
「…おぉきに」
「翔くんって子供みたい」
戸惑うと目が潤む翔一郎の顔つきは、出逢ったあの日と変わらない。
「二人で頑張れば、何とかなるって」
エマの楽観的な言葉に翔一郎は救われた思いがした。
その頃。
ニューヨークの愛は愛で、想定外の事態となっていた。
帰国を目前に控え、単位を取り終えて支度をしていた時期に、予定日より半月も早く、何と破水したのである。
いきなりの破水は留学先の美術学校から、帰る途中に起きた。
が。
僥倖があった。
たまたま通りかかった日本人が何人か助け合い、市内にあった救急病院まで付き添ってくれたのである。
無事に病院に運ばれた愛は、すでにぐったりしている。
だが。
深夜、無事に産まれた。
女の子である。
愛は生まれてきた我が子に「薫子(かおるこ)」と名付けた。
もちろん。
薫の名前から採った命名である。
西陣のエマと翔一郎は、薫子が生まれて三日後に愛からのメールで愛の出産を知った。
「薫子、かぁ」
なかなかえぇ名やあれへんか──翔一郎はいった。
「お祝い、出さなあかんな」
「来月には帰国だから、そのときに愛に渡そ」
「せやな」
翔一郎が窓に目をやると、近所の保育園に植えられてある彼岸桜はちらほら咲き始めていた。
甲子園の選抜野球が済んだ何日か後、エマと翔一郎はギフトを手に、神戸線と南海線を乗り継いで関西空港まで迎えに出た。
再会するなり、
「産んじゃった」
と愛は笑わせてみせた。
「聞いたときにはビックリしたでホンマに」
当たり前であろう。
が。
「だって翔くんと同じ誕生日になったんだもん、こっちがビックリしたって」
そういえば翔一郎は三月生まれである。
エマはそれをいった。
「で、子育てはどうするんや?」
「しばらくお祖母ちゃんも見てくれることになったけど、会津だからさ…」
「うーん」
翔一郎はうなった。
「もう少し大きくなったら、うちの近くの保育園とか聞いてみても、大丈夫だと思うんだけどねぇ」
「そら首が据わってからの話やで」
翔一郎は笑わせた。
「むしろ会津みたい静かな場所で、子育てした方がえぇんとちゃうかなぁ」
エマも頷いた。
「それに薫子ちゃんに関西弁になられてしもたら、えらいこっちゃで」
何しろ関西弁の女の子は東京ではキツく映るらしいからなぁ…と翔一郎は、冗談とも本音ともつかないことをいった。
愛が福島へ戻って間もなく、
「どうしても饗庭センセにお会いしたいって人がいてはりますのやけど、どないしはりますか?」
といった内容の電話が、写真集で世話になった編集部からかかってきた。
「誰やろ…?」
連絡をつけてみると、果たして西本願寺の乾賢海であった。
「乾さんがこれまた珍しいですなぁ」
翔一郎は理由を訊いてみた。
「いや実は」
和歌山にある実家の寺を嗣ぐことになり、京都を離れることが決まったのだ…という。
「えらい急ですな」
「父親が脳梗塞で倒れて、お盆の檀家参りのときとか大変やったんです」
乾はこぼした。
だが。
事情が事情で、こればかりはどうしようもない。
しばらく連絡がつかなかった真相も、おそらくそうした経緯があったからであろう。
「饗庭センセはガバチョのシリーズがあるから、多分しばらく京都を離れることはないやろって思いますけど」
これがホンマの都落ちですわ、と力なく乾は笑ってみせた。
一人、また一人…と離れて行く。
知っている人々が京都から去ってゆくのは、一抹の寂しさもエマや翔一郎は感じたらしい。
連休を間近に迎えた四月の末の週末、
「ね、翔くん取って置きの穴場に連れてって」
珍しくエマらしくないわがままなことをいった。
翔一郎は驚いたが、
「まぁ、たまにえぇか」
と、外出の支度を始めたのであった。
翔一郎がエマを連れていったのは、南禅寺の脇にある南禅院という塔頭である。
「こっちはほとんど人が来んけど、いちばん京都らしくてえぇのや」
翔一郎がそう語る広々とした廊下には、萌黄色の若葉が反射して不思議な空間を作り出している。
確かに。
南禅寺といえば歌舞伎にも絶景とうたわれるほどの桜や紅葉の名所で、疎水の石橋に至ってはドラマでよく使われるほどでもある。
が。
塔頭というだけで変わりはないのに人影はなく、すぐそばに市街地があるとは思えない静けさですらある。
「翔くんってさ」
不思議な人だよね──エマは訊いてみた。
「さよか?」
翔一郎は問い返した。
「淡々としてるかと思えば、粘るときもあるし」
余り拘泥しない面もあれば、往生際が悪いと言われるぐらい最後まで諦めない面もある。
「出逢った頃から、翔くんって不思議だなぁって思ってた」
「そうなんかなぁ」
まぁ醒めとるとは言われる、といい、
「写真って感情的になってもうたら、ちゃんとしたの撮られへんから、ほんで自然と冷静になるんとちゃうかなぁ」
ただ写真はこう撮らなアカンとか、屁理窟語る連中は苦手やけどな──といい、広い廊下にごろりと横に寝転んだ。
あまりの無造作にエマはびっくりしたが、
「…ま、なんとかなるやろ」
こういう時おり見せるごんたぼうずなところがまた、エマには魅力でもあったらしい。
近所の漬物屋の店先の白梅の樹が満開になると、エマたちの事務所にも梅の芳しい香りが漂ってくる。
が。
翔一郎は、例の彦根での件から、しょげかえってしまったままである。
(よっぽどこたえたんだろうなあ)
無理もない。
何しろ帰れる場所を失ってしまったのである。
想像は計り知れない。
あるときには。
エマは何とか元気を取り戻してもらいたい一心で、
「じゃーん! ねぇねぇ、翔くん…どう?」
といって胸元のあいた谷間を強調した服を着て、扇情を試みた。
見るなり、
「エマはスタイルえぇから、よう似合うで」
といって翔一郎は情の厚い面があってハグはしてくれたが、それより先は進展がない。
(もともと翔くんは性欲が淡泊だからなあ)
少し失敗したな、とエマは翔一郎の胸で、困った顔をするのであった。
月が変わった。
宝鏡寺に雛人形が並ぶ頃、エマは四条高倉の大丸でポイントを貯めに寄ったあと、錦天神のそばの雑貨屋で値引きされていた、ドン・ガバチョの小さな縫いぐるみを買った。
西陣に帰ると、
「エマもたまに、おもろいモン買うてくるなあ」
なぜか翔一郎は妙にツボにハマったらしく、
「ちょっとおもろいことやったる」
というと通り庭からリトルカブを玄関先へ出し、そのメーターのバイザーの辺へ載せて、ガバチョの縫いぐるみの後ろ姿をなぜか撮影した。
「どや、これやったらまるでガバチョがバイクで旅してるみたいやろ」
一眼レフのディスプレイには、バイザー越しに前を眺めるガバチョの姿が写っている。
「まぁ受け売りやけどな」
エマにはピンと来た。
毎週末に関西のローカルで流れている旅番組で、犬の縫いぐるみが世界各地をめぐるというものである。
「今度ガバチョに京都の旅さしたろかな」
「それ面白そうだよね」
こんなノリで、まずは近場の北野天満宮にガバチョを持って行き、参拝かたがた何枚か撮って、
──ガバチョの旅。
という仮タイトルをつけ、ホームページにあるブログでアップしてみた。
すると。
翌日から急にコメントが入り始め、
「ガバチョの旅、シリーズ化してください」
というリクエストが来たのである。
次は、同じ近場の平野神社に早咲きの桜を撮りに出たついでに「ガバチョの花見」として撮ったものを掲載した。
これも意外にウケたらしく、やたらと女の子らしき名前のコメントが目立った。
さらに今度は、
「うちの寺でガバチョの旅シリーズの撮影をしませんか」
と、大徳寺の塔頭から依頼が来たのである。
そこで。
人力車に乗ったり、枯山水の庭園を眺めるガバチョの旅を撮った。
譲ってもらうよう頼まれた写真はデータを焼いたロムで塔頭に実費で渡し、許可を得てまた載せた。
こうなると。
「次のガバチョの旅シリーズが楽しみです」
といったコメントやら、中にはリクエストで、
「龍安寺の石庭で撮影して欲しい」
といったものもあって、たちまち半月で十ヶ所近く回る忙しさとなり、人気シリーズになった。
さらには。
「車イスで動けないので、代わりにガバチョに清水寺を旅して欲しい」
というので、翔一郎が汗だくになりながら撮影した、音羽の滝や舞台をガバチョが観光する清水寺編が作られた。
これは車イスのユーザーにウケたようで、
「まるで代参してもらってるみたいだ」
という反応が来た。
こうなると。
「ガバチョの旅シリーズを写真集にしませんか?」
ほっとかないのが書籍の業界である。
出版社から話が舞い込んで、ブログの読者から要望もあったので翔一郎はとりあえず出した。
風景の写真集は、そもそも一万部も売れればヒットの世界である。
これが。
「ガバチョの旅」シリーズはいきなり初版が品切れ、追加した重版もすぐ品薄となって、あろうことか十万部という、かつて編集部が見たこともないような売り上げを叩き出したのである。
くどいが一万部でヒットの業界である。
途方もない現象となった。
その直後。
「饗庭センセ、えらいこってす!」
飛び込んできた編集者が印刷した紙切れを持ってきたのだが、
「おい…ランキングで一位になっとるやないか」
見るとランキングが載っていた。
しかも。
翔一郎がビックリしたのは二位以下である。
並みいるアイドルの写真集を抑え、「ガバチョの旅」シリーズが一位にいるではないか。
「いよいよヒットメーカーの仲間入りですねー」
とはしゃぐ編集者とは対照的に、翔一郎は少し曇った顔をすると、そそくさ二階へ上がったのである。
すかさず。
エマも二階へ上がった。
「翔くん、…どうしたの?」
「エマ…これはうちらにすれば一大事やぞ」
かつて陣内一誠が實平あさ美と熱愛で報道されたときのような事態に、次は自分たちが曝されるということに翔一郎は気づいたらしいのである。
「今までみたいには行かんようになるで」
「それでもいいじゃん」
うちらはうちらで変わらないんだから、とエマはいった。
「人ってそうじゃん、何か失ったから、何か得るものがあるって」
よく翔くん口癖で話してるじゃん──エマは明るくいった。
「そうかなぁ」
「大丈夫だって」
あたしがいるから──エマは背後から翔一郎をふんわり抱き締め、
「翔くんは、あたしがいないと駄目なんだからさ」
そういうと、頭を優しく撫でた。
「…おぉきに」
「翔くんって子供みたい」
戸惑うと目が潤む翔一郎の顔つきは、出逢ったあの日と変わらない。
「二人で頑張れば、何とかなるって」
エマの楽観的な言葉に翔一郎は救われた思いがした。
その頃。
ニューヨークの愛は愛で、想定外の事態となっていた。
帰国を目前に控え、単位を取り終えて支度をしていた時期に、予定日より半月も早く、何と破水したのである。
いきなりの破水は留学先の美術学校から、帰る途中に起きた。
が。
僥倖があった。
たまたま通りかかった日本人が何人か助け合い、市内にあった救急病院まで付き添ってくれたのである。
無事に病院に運ばれた愛は、すでにぐったりしている。
だが。
深夜、無事に産まれた。
女の子である。
愛は生まれてきた我が子に「薫子(かおるこ)」と名付けた。
もちろん。
薫の名前から採った命名である。
西陣のエマと翔一郎は、薫子が生まれて三日後に愛からのメールで愛の出産を知った。
「薫子、かぁ」
なかなかえぇ名やあれへんか──翔一郎はいった。
「お祝い、出さなあかんな」
「来月には帰国だから、そのときに愛に渡そ」
「せやな」
翔一郎が窓に目をやると、近所の保育園に植えられてある彼岸桜はちらほら咲き始めていた。
甲子園の選抜野球が済んだ何日か後、エマと翔一郎はギフトを手に、神戸線と南海線を乗り継いで関西空港まで迎えに出た。
再会するなり、
「産んじゃった」
と愛は笑わせてみせた。
「聞いたときにはビックリしたでホンマに」
当たり前であろう。
が。
「だって翔くんと同じ誕生日になったんだもん、こっちがビックリしたって」
そういえば翔一郎は三月生まれである。
エマはそれをいった。
「で、子育てはどうするんや?」
「しばらくお祖母ちゃんも見てくれることになったけど、会津だからさ…」
「うーん」
翔一郎はうなった。
「もう少し大きくなったら、うちの近くの保育園とか聞いてみても、大丈夫だと思うんだけどねぇ」
「そら首が据わってからの話やで」
翔一郎は笑わせた。
「むしろ会津みたい静かな場所で、子育てした方がえぇんとちゃうかなぁ」
エマも頷いた。
「それに薫子ちゃんに関西弁になられてしもたら、えらいこっちゃで」
何しろ関西弁の女の子は東京ではキツく映るらしいからなぁ…と翔一郎は、冗談とも本音ともつかないことをいった。
愛が福島へ戻って間もなく、
「どうしても饗庭センセにお会いしたいって人がいてはりますのやけど、どないしはりますか?」
といった内容の電話が、写真集で世話になった編集部からかかってきた。
「誰やろ…?」
連絡をつけてみると、果たして西本願寺の乾賢海であった。
「乾さんがこれまた珍しいですなぁ」
翔一郎は理由を訊いてみた。
「いや実は」
和歌山にある実家の寺を嗣ぐことになり、京都を離れることが決まったのだ…という。
「えらい急ですな」
「父親が脳梗塞で倒れて、お盆の檀家参りのときとか大変やったんです」
乾はこぼした。
だが。
事情が事情で、こればかりはどうしようもない。
しばらく連絡がつかなかった真相も、おそらくそうした経緯があったからであろう。
「饗庭センセはガバチョのシリーズがあるから、多分しばらく京都を離れることはないやろって思いますけど」
これがホンマの都落ちですわ、と力なく乾は笑ってみせた。
一人、また一人…と離れて行く。
知っている人々が京都から去ってゆくのは、一抹の寂しさもエマや翔一郎は感じたらしい。
連休を間近に迎えた四月の末の週末、
「ね、翔くん取って置きの穴場に連れてって」
珍しくエマらしくないわがままなことをいった。
翔一郎は驚いたが、
「まぁ、たまにえぇか」
と、外出の支度を始めたのであった。
翔一郎がエマを連れていったのは、南禅寺の脇にある南禅院という塔頭である。
「こっちはほとんど人が来んけど、いちばん京都らしくてえぇのや」
翔一郎がそう語る広々とした廊下には、萌黄色の若葉が反射して不思議な空間を作り出している。
確かに。
南禅寺といえば歌舞伎にも絶景とうたわれるほどの桜や紅葉の名所で、疎水の石橋に至ってはドラマでよく使われるほどでもある。
が。
塔頭というだけで変わりはないのに人影はなく、すぐそばに市街地があるとは思えない静けさですらある。
「翔くんってさ」
不思議な人だよね──エマは訊いてみた。
「さよか?」
翔一郎は問い返した。
「淡々としてるかと思えば、粘るときもあるし」
余り拘泥しない面もあれば、往生際が悪いと言われるぐらい最後まで諦めない面もある。
「出逢った頃から、翔くんって不思議だなぁって思ってた」
「そうなんかなぁ」
まぁ醒めとるとは言われる、といい、
「写真って感情的になってもうたら、ちゃんとしたの撮られへんから、ほんで自然と冷静になるんとちゃうかなぁ」
ただ写真はこう撮らなアカンとか、屁理窟語る連中は苦手やけどな──といい、広い廊下にごろりと横に寝転んだ。
あまりの無造作にエマはびっくりしたが、
「…ま、なんとかなるやろ」
こういう時おり見せるごんたぼうずなところがまた、エマには魅力でもあったらしい。