送り狼
栞が呪いの言葉を紡ごうと唇を開く…
その時、身を起こした娘と目が合ったような気がした。
驚いた栞は開いた唇を慌てて噤む。
しかし…
目が合ったというのは栞の勘違いだったようで、
娘はどうやら、栞の方向にある小さな窓から
暗い闇夜を見ているようだった。
「…?」
不思議に思った栞は思わず娘の動向を観察してしまう…。
一体、何を見ていると言うのだろう…。
今宵は闇夜で、何も見えないであろうに…。
やがて…
娘の瞳がゆらゆらと揺れだした…。
そして…
何も見えない闇夜を見つめながら
娘は雫を落とす…。
はらはらと…
幾筋も、幾筋も…
その美しい顔をクシャクシャにしながら…。
その様を見ていた栞は
『見なければ良かった!!』
と、激しく後悔した。
本当は…
この粗末な一軒家を覗いた時から
予感はしていたのだ…。
この娘は、私に無い物を全て持っている。
よく変わる表情。
優しい笑顔。
鈴の音のような声。
そして、何より、よく笑い、よく泣き……
真に人間らしい…。
主に何年も使えて来た栞だ…。
その姿を見ていれば、山神が何故この娘に惹かれるのか
それは一目瞭然だ。
「…銀狼っ!!」
切ない声で娘がその名を紡いだ。
そして、闇夜の中へと駆けて行く…。
そうだ…。
解っていたのだ…。
この娘も、自分と同じく道々ならぬ恋に落ちている事を…。
悔しくて…悔しくて、悔しくて…
栞の瞳から涙が溢れ出す。
『山神様!山神様!!山神様っ!!!』
どんなに心で激しく思っていても
栞の表情は変わらない。
変える事が出来ないっ!!
人形のように無機質な頬に
幾筋も涙が滑り落ちるだけ…。
闇の中で、強く抱き合う二人の気配を感じながら
栞は泣いた…。
悲しくて、悔しくて、辛くて…
泣いた…。
あぁ、私にこの娘を殺す事は出来ない…
憎くて、憎くて仕方ないのに、
それでも…
山神様が惹かれるこの娘を
私は、呪い殺す事が出来ない…。