送り狼





『…今宵の満月は…

 殊更(ことさら)に美しい…』




犬神銀狼は、木々の影から顔を出す月を満足気に見上げていた…。


その月の美しさが、自分と夏代子の新しい門出を祝ってくれているかのように思えたからだ。



銀狼は、夏代子と出会った時から知っていた。



いずれこの娘が、村の繁栄の為犠牲になる『人柱』に選ばれるであろう事を。


だから、極力関わらないよう努めてきた。


が…


『夏代子ときたら…』


銀狼は、一人、想い出し笑いをする。


『…必ず山で迷う…』


銀狼が夏代子と出会ったのはまだ彼女が幼い時だ。


山中に、彼の昼寝の特等席である立派な幹を携えたクヌギの木がある。

彼は日中、そのクヌギの太い幹の上で昼寝をする。

その日もいつも通り、うとうとと昼寝を楽しんでいたら

「わんわん」と、泣き叫ぶ幼子の声が遠くから聞こえて来るではないか…。


銀狼は気持ちよくまどろみ始めた所だった。

少し迷ったが、面倒なのでそのまましばらく放っておく事にした。


「わんわん」

「わんわん」


「~~~~~っ!!

 えぇーいっ!!うるさいっ!眠れぬではないかっ!」


余りにけたたましく泣き喚く幼子の声に、イラつきながら

銀狼は渋々腰を上げた。


「おいっ!童っ!!どうしたっ!?」

幼子の背後から、苛立ちをそのままぶつけたような怒声を浴びせる。

「…!?」

その声に驚いた幼子が振り返ろうとすると…

「振り返るなっ!!振り返ると、お前を喰うぞっ!」

「………うぇ…」

その言葉にまた泣き叫ぼうとする幼子を慌ててなだめる。

…あんな騒音でしかない泣き声はもう沢山だった。

「お前、道に迷ったのか?」

「…うぇ…ひっ…う、うん」

幼子は泣き出しそうな嗚咽を必死に飲み込もうとしているようだった。

銀狼は頭をボリボリと掻き、溜息を吐く。

「…はぁ~、お前、名は?」

「ひっく…夏代子…」

「…そうか。では、夏代子。

 俺が村まで送ろう。

 …その代わり…

 道先案内の途中、絶対に振り返ってはならんぞ。

 もし、振り返り、俺の姿を見たら、俺はお前を喰らわねばならんからな」


脅しでもなんでもない。

本当の事だ。

神であるとはいえ、世の理は守らねばならない。


「…その獣道を、右だ」

銀狼は、幼子の後から、帰り道を案内する。

幼子も銀狼の言いつけを守り、前だけを見つめ、大人しく先を進む。

「…このまま真っ直ぐ進むと村に出る。

 後は一人で行けるな」

やれやれ、やっとこの面倒な仕事から解放される、と幼子から離れようとした時…

「…犬神様でしょ?」

幼子が口を開く。



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