送り狼

予兆


真夏の湿気を含んだ風が、鳴人の茶色いくせっ毛をぶっきらぼうに吹き上げた…。


重たい空気が、白い肌に纏わり付くようで気持ち悪い…。

そう思うのは、鳴人の、今の気分のせいだろうか…。


はっきり言って、最悪な気分だった。


山神の鎮座する御神体の間のある峯を上りきると、山頂に辿りつく…。


そこは、少し開けた場所になっており、かつて、幼い頃の鳴人、そして栞の修行の場でもあった。


鳴人にとってこの場所は、苦い思い出が多く残る、あまり近づきたくない場所でもあった…。


それでも、この場所に訪れる唯一の理由は……


集落一帯を見渡せる、絶景だ…。


鳴人の眼下には、この忌まわしい神事の残る、小さな集落が広がっている。


栞だった頃の記憶と比べてみると、その集落の規模は、現在では随分と縮小されたように思う…。


この小さな集落にも、遅ればせながら近代化の波は押し寄せている。


若者は都会に職を求めて次々とこの村を後にし、

残っているのは…

古い言い伝えや、神を信じる年寄りばかりだ…。


『…こんな物を守る為に、僕は…』


栞として生きた頃も、もちろん、その波の予兆はあった…。

それでも、今よりも賑わっていたし、

科学よりも、神を信じる者が多くいた…。


今ではどうか…?


これでは、時代に取り残された孤島ではないか…。


この寂れた田舎の集落を見下ろす度、鳴人の中の過去生の記憶が繰り返し叫ぶのだ!


何の為に、自分は二度に渡って、この山神神社に生を受けたのか?

辛く苦しい修練の日々は何の為だったのか!?

一体、何の為に、栞は夢敗れ、一人、生を終えて行かねばならなかったのか!?

栞の儚い願いですら、神は…、いや、万物はそれを許そうとはしなかった…。


「…………っっ!」


押し殺した筈の感情が、堪えきれず鳴人の唇から嗚咽となり漏れ出る…。



『…こんな物の為に…』



栞は…、こんな消えゆく村の為に、自分を押し殺し一生を終えた訳じゃない!

あの頃は信じていたのだ…。

山神の治めるこの一帯は永遠の物だと。

この村に残る忌まわしい神事の全ては、この村を守り、永続させる為のものだとっ!!!


……そう信じていたのに…。


鳴人の眼前に広がるのは、今にも消えて失くなってしまいそうな寂れた集落…。


堪らないせつなさが胸に込み上げ、視界が涙で滲んで行く…。


一度は…、過去世をやり直せると思ったのだ。


鳴人として生を受け、再び、愛しい主に出会えた時…。


栞である時に叶えられなかった事、全てをやり直せると…。












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