送り狼


ふいに春風が突風を巻き起こした。



桜が白い空へと高く舞い上がって行く。



…桜吹雪だ…。



栞は無表情に空を見上げる。


舞い上がる花弁は霞がかり、空との境界線を曖昧にした…。


声の主はそんな春風の起こした淡い霞の中にいた…



栞はその時の事を今でも良く覚えている。



「…お前が、次の、俺の巫女か」


薄桃色の晴嵐の中で、金色の細い髪がたゆたう…。


その佇まいは余りにも、幻想的で…神秘的で…


栞は白昼夢を見ているじゃないかと思った。


「…あなたは…誰…?」


主の瞳が少しだけ開かれた。


深い…翠緑の瞳だ…。


「ふふ…」


主が笑う…。


「童!どんなに大人びて見せても、お前はまだまだ子供だの!」
 

その言葉に栞は少し驚いた。

次期当主として生まれた栞を子供扱いする者など

何処にも居なかったからだ。


「私が…子供…?」


主は翠緑の瞳を優しく細める…。


「あぁ!子供だ!恐れを知らぬ。」


…綺麗な瞳だ。


その瞳は、真夏の山々の生命力を彷彿とさせ

万物を、雄大につつみ込むかのような力強さを感じさせた。


「……山神さ…ま…?」


主は微笑む。


「あぁ、そうだ。俺の巫女。

 これからよろしく頼む。」



それは、桜の見事な春の日の出来事だった。




【俺の巫女…】



栞はその言葉を

静かにもう一度繰り返した…。



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