送り狼
それから、さらに十年の月日が流れ…。
栞は二十歳の夏を迎えていた。
今日は、数百年に一度の人柱を占う日…
遠い昔より、人柱はこの山神神社で占いによって選ばれてきたのだ。
人柱になる者が現れると予兆が現れる。
それは、万物からの精神感応(インスピレーション)…。
空が…山が…川が…
あらゆる自然が騒ぎ出す…
『人柱が現れた』、と…。
少しでも力ある者であれば、それらは容易に感じ取れるだろう。
そしてその予兆は、栞はもちろん、一族、そして山神も感じ取っていた。
『ついにこの日が来た』
一族の者は喜々として、口々にそう叫んだ。
そして、栞自身もこの日を心から待ち望んでいた。
山神の声を聞いてから十年…。
この日の為に、辛い修練に耐え抜いて来たのだ。
人柱になると言う事は、山神と一つになるという事。
人柱はこの世で唯一人、神の信頼の証として
その真名を明かされる。
そして神の真名は人柱に深く刻み込まれ
神はその者となり、その者は神となるのだ。
そして人柱は神の中で悠久の時を共に生きる…。
栞は山神と出会った幼いあの日から決めていたのだ…。
『私の全ては山神様のもの』
『山神様の全ては私のもの』
それは、無表情で無機質な人形の抱いた唯一の切なる願い…。
栞はあの日のように無表情に空を見上げる。
そこに桜はないけれど…
「…栞か…?」
ふいに頭上から声が振ってきた。
「…山神様…」
振り向くといつの間にか山神はそこに居る。
「…今宵か…人柱が選ばれるのは…」
山神は溜息でも吐くかのように呟く。
「…えぇ…。今宵ですね…」
栞は表情一つ変えずそう答えた。
「…そうか…」
沈黙が流れる…。
「…あ…の、山神様!」
無表情で無機質な人形が、珍しくその言葉に感情を示す。
その事に気付いた山神は、少し驚いたような表情で栞を見た。
「なんだ?」
山神が栞を見つめる…。
「わたし…わたし、必ず選ばれてみせます。」
栞が、自分の思いや希望を口にするのはこの時が初めてだった。
山神はそんな栞に優しく瞳を細めた。
「…そうか…。」
と、そう一言だけ呟き、すぐに視線を彼方へと移す。
「ジミーン!ジミーン!!」
蝉が煩い…。
彼方を見やった山神の瞳には……
何の感慨の色も感じさせなかった。