シークレット・ガーデン
・娘と青年(3)
(これは何の苦行なのでしょうか、とーさん!!)
ローレルは使い込まれた傷のある三ツ又スプーンを握りしめ、天の國の養父に訴えた。
目の前には、素朴ながらも熱々と旨そうな湯気を立てている煮込みや焼き物の数々。――そして、物珍しそうに辺りを見回す、街の食堂に似つかわしくない上流階級の空気を纏った青年の姿。
(浮いてる……浮きまくっているっ)
周囲の人々は場違いな彼を気にして、チラチラとこちらに視線を投げてくる。
彼女は彼の上着を脱がせたことを後悔した。
黒のコートを剥いだ下は、光沢のある灰銀のシャツ、黒革のタイトな型のスラックス。
それだけ見ると別段、おかしな格好ではない。ないのだが、その身に付けた装飾物が問題だった。
五指に填まった貴石の指輪。金糸と銀糸で複雑な紋様の描かれた帯にはこれまた貴石が縫い止められ、更に最悪なことに、彼は剣帯していたのだ。
一般的に、剣を帯びる資格を有するのは、荒事に従事する――警護職に就く者か冒険者、或いは、貴族のみ。男の雰囲気からして、前者という事は無いだろうとローレルは見当をつける。
簡素ながらも質の良いお高そうな衣服。座っているだけなのに、この威圧感。貴石のせいじゃなくキラキラした効果が背後に見えるのは気のせいだろうか。
わずかな時間行動を共にしているだけだが、突っ込みどころ満載な傲慢な態度に、彼が高位の者だと確信していた。
(つうかアンタ魔道士じゃないのか、普通でも危険人物だってのになんで剣まで持ってる)
ついでに、お洒落などしそうにない青年が光り物を着けているのが不思議だった。
――ローレルは知らなかったが、彼が身に付けている貴石は全て魔道具。見るものが見れば、恐ろしいほどの術式が彼を取り巻いていることに気付いただろう。
しかし、ここにいるのは魔道などに関わりのない一般人ばかり。ローレルにしても、実際に魔道が使われているところを見たのは、昼間が初めてだったくらいだ。
故に、彼の格好を見て『ちょっと人気のない道を歩いたら、ガラの悪いおにーさんたちに嬉々として声を掛けられるだろーな』という感想を彼女は持ったのだった。
(野放しにすると悪党さんたちの命が危ないかもー)
三ツ又スプーンをくわえ、水の入ったグラスを揺らしている青年を眺め――ふと気づく。
先程から彼は水しか飲まず、目の前の料理には一切手をつけていない。
訳のわからないまま付きまとわれ追い払いきれず、ここまで来てしまったが、それならそれでと開き直り奴の分も含めて料理を頼んだというのに、このままでは自分一人で精算しなければならなくなる……! ローレルは密かに焦った。
「ちょっと、食べなよ。二人分のつもりで頼んだんだから、残すと勿体無いでしょ」
香ばしい香りを立てる揚げ鶏と野菜の皿を勧めながらローレルが言う。
青年は瞬きのあと、僅かに首を捻った。
「……ああ、俺は他人の手が入ったものは極力身の内に入れんことにしている」
「は?」
「こんな場所で毒を盛られることも無いだろうが、習慣でな」
さっくりと告げられた内容に、ローレルは口をつけていたグラスから水を吹き出しそうになる。
「なんなのその物騒な習慣はっ! それで何食べてそんなにデカイ図体になったんだ!」
「気になるところはそこか」
まだ十五だというのに、既に止まった気配を見せる自身の身長と比べ、激昂するローレルに呆れた視線が向けられる。
「……ええと、それはお家騒動とか?」
彼が貴族ならばあり得るハナシかも、とローレルは『貴族といえば陰謀ドロドロ骨肉の争いっ』という偏った思い込みで尋ねてみた。
「家が、というより俺が問題だろうな、この場合」
「んん?」
眉を寄せて疑問の意を示すローレルに、彼は唇を上げる。
「お前の言う、暑くるローブ集団が呼ぶのを聞いていなかったか。――魔王と」
聞いた。
そもそも魔道王なんて呼び方もされていた。
二つの耳にした名称とあの騒ぎから導き出されるのは、彼が――ケイオスが、魔道を使う者たちからもそう認識されるチカラの持ち主だということと、忌避の感情を向けられる存在だということで――
「まあ毒を盛られていたのはかなり昔の話だ。なかなか習慣というものは抜けん」
彼自身が全く気にせずにいるから、ローレルも気にしないことにした。そこまで踏み込もうと思う仲でもない。
ただ。
半分ほど中身の減ったシチューの器を青年の方へ押しやって、別の皿をとった。
「アンタのお財布アテにしてるんだから、食べな。あたしが平気なんだからアンタも平気でしょ」
毒見済みってとこだよね。そう言ってのけ、再び料理を心底美味そうに頬張り出したローレルに、ケイオスはきょとんとした目を向けて――肩を揺らした。
「……アンタじゃなくて、ケイオスと呼べというに」
「命令されて人の名前は呼ばんわ」
ギロリと睨む翠を、改めて興味深げに彼は眺めた。