スナック富士子【第四話】
午後になって雲行きが怪しくなって雨が降ると彼はやってくる。雨宿りをするように。それだけがたった一つの理由であるかのように、彼はやってくるのだった。
一度だけ、彼が雨ではない日にやってきたことがあった。お盆明けの暑い夕暮れだった。開店準備を終えて外看板のライトを入れて、富士子ママはカウンターの中でのんびりグラスを並べていた。ドアが軋んで開いた。いらっしゃいませ、と機械的に言った語尾が多分小さな店のカウンターのどこかに薄く消えて、富士子ママの心臓は少女のようにドキドキ鳴った。カウンターに座った男は外の熱気を身体の輪郭に纏わりつかせながらカウンターに座った。黒い前髪が汗に濡れて束になり、袖捲りをした両腕の浅黒い肌も汗に濡れて光っていた。男は少し腰を浮かせてポケットからハンカチを出して額を拭った。細いグレーの格子が入った白いハンカチは綺麗にアイロンが掛かっていた。
富士子ママは氷水とおしぼりをそっと出した。やっとそれらしく微笑んでもう一度「いらっしゃい」と言った。彼は首筋の汗を拭いながら富士子ママを見て口元だけを綻ばせた。それから氷の音を涼しげに立てながら一気に水を飲み干すとやっと「やあ!」と富士子ママに言った。富士子ママはカウンターに置かれたグラスを取ってもう一度水を注ぎ、彼の前に置いた。「ありがとう。」と彼は言って黒い皮のカバンに頭を突っ込むようにしてゴソゴソと弄(まさぐ)り、薄い紙袋に入ったものをカウンターに滑らせてそうっと富士子ママに差し出した。
「これ。」