スナック富士子【第四話】
その時、ドアベルが鳴った。いらっしゃいませ、と、僕は機械的にドアに向かって高くも低くもない声で言った。カラララン、とドアベルがもう一度鳴ってドアが閉まる。薄暗いライトの下で紺色のチノパンのポケットからハンカチを出し肩を拭っているのは、直紀(なおき)さんだった。高濱直紀さん。推定40歳目前の38歳とか39歳とか。バツイチ。出版社の編集部に勤めている彼はビジネススーツより軽い服を着ていることが多く、背も高くてお洒落なせいか多少若く見えるけれど、笑うとタレ目の目じりに皺が寄る。クセの強い髪に少し白い物が混じり始めている。
「久しぶり。」
直紀さんはカウンターに僕と一樹とを等分に見比べながらカウンターの一樹の横に座った。
「どうもっす!」
一樹もにこやかに笑う。
サイテーな男だ、と僕が溜息をついていた相手、一樹は僕よりもひとつ下の二十歳。僕の高校時代の部活の後輩でその当時は僕の親友に恋をしていた。僕がスナック富士子で働くようになってからちょいちょいやって来るいまや常連だ。中肉中背。柔らかそうな細い髪をムースか何かで逆立てている。二皮目の瞼を長い睫が縁取っている彼の瞳は明るい所で見ると茶色かった。
「若い二人は最近どう?あ、ウォッカトニックね」
と、僕が出したオシボリで手を拭きながら直紀さんが言った。
「若い二人、って、直紀さん、自分でそういうこと言うから白髪が増えるんじゃないの?」
一樹は情け容赦なく直紀さんが最近気にし始めていることをずばりと言った。直紀さんの目尻に皺が寄って優しい笑顔がカウンターに咲いた。
「そんなぁ。一樹くん、やな奴ー」
でも、そんなやり取りをしながらも一樹は今僕にした話を直紀さんにも話した。直紀さんの目尻の皺がなくなって、目に真剣さを湛えて、カウンターの上に腕を組みながら眉毛が寄る。誰にでも話せることじゃないけれど、直紀さんはそういうことを話してもいい人だ。というよりも、直紀さんになら聞いてほしい事が僕らにはいくらでもある。そんな人だ、直紀さんは。