スナック富士子【第四話】
二人の間で交わされた会話を、僕は聞いていない。
でも、あの頃、彼がどんなに上田のことを好きだったのか、一樹の目も、手も、彼の全身がそれを語って余りあるほどであったのに、こんな風に快楽に溺れて誰かれ構わずに寝る男の真意がどこにあるのか、僕には理解できない。理解しようという気にもならなかった。
* * *
俺は彼の上で果てて、眠りに落ちた。
短い夢を見た。夢ではなく、それは、記憶の断片だ。
「ありがとう」
と、その人は言った。
「俺を忘れないで」
と、その人は言った。
俺の手を握り返してくれたその手は細く、骨っぽく、冷たく、そして乾いていた。俺は泣いていた。彼の前で泣く事だけはしちゃいけないと思っていたのに。どうしても、こみ上げる涙を堪えることができなくて、泣いた。彼はか弱い力を振り絞るように俺の手を離して、俺の髪を撫でた。
「好き・・・・好き・・・・上田さん・・・・」
痩せて小さくなった彼を抱けると思った訳ではないのに、俺はその時欲情していた。
「上田さん・・・好き・・・・本当に、好き・・・。俺・・・・。だから・・・。お願いだから・・・」
こんなに好きだから。他の人を好きになれないから。上田さんが今死んじゃったら、俺、新しい恋が出来なくなる。この恋を終わりに出来なくなる。
涙を零して、俺は目を覚ます。あの人を抱いていたら、俺はこんな風に泣かずに済んだのだろうか。それとももっと泣くことになったろうか。息が出来ないほど泣いて、息が止まるほど泣いて、彼の元へ逝けるならそれも悪くないのに、俺はけしてそんな風には泣けない。
汗を拭う振りで涙を拭いて、半身を起こす。今、自分が抱いた男はやはりあの人ではない。
第一話「終わらない初恋」終わり