絶滅危惧種『ヒト』
『とにかく俺もそっちに行くから』


数分の沈黙の後で、井上が静かにそう切り出した。


「そうか、好きにしろ」


直樹はそう言うと、電話を切る。

90人も発病者が出た。おそらくこれだけでは止まるまい。

藤田朋美が発病してから四日目。

あまりにも小さ過ぎる病原菌は、簡単に風に舞い、その場にいた者たちに感染した。


ならば弟が感染しているのも間違いないことで、すでに発病者が出ている以上、弟が発病するのは時間の問題なのだ。


今ここに向かっている道中にも、弟は発病して死んでしまうかもしれない。

そう思うと胸が痛んだ。


直樹は歳の離れた弟のことが可愛くて仕方なかった。


弟はまだ高校生なのだ。死んでしまうには余りにも早過ぎる。

まだまだ人生を謳歌させてやりたい。


一丁前に彼女を作ったというが、その彼女の顔もまだ拝ませてもらっていないのだ。


それにしてもこの悪魔の細菌は、乾燥や酸、水にもアルコールにも強い。

ニューキノロン系薬剤などの抗菌薬もおそらく効果は期待できないように思うし、

かといって、ノロウイルスのように、有効な治療薬がなくとも、対症療法で何とかなるのなら良いのだが、

この細菌は、下痢などの症状を引き起こすことなく、人の消化器官を腐らせるのだから、自然に排便で出て行くのを待つ訳にもいかないのだ。

直樹は頭を抱えた。
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