push
5.おやすみ、また明日
日課、だった。
ぎこちなく押すボタンに書かれた数字はとっくに覚えてしまっていたし、この行動も三大欲求と同じように、しなければ満たされることはなくただただ不快になった。
呼び出す音が聞こえて、3コール目でいつも向こう側と繋がる。
これももうお決まりなのだ。
「今日 は ハジマリ の ヒ から 1164 日 目」
第一声はいつもこちら。
この部分だけはだいたい、単語の固まり毎に一拍空けて言う様に指示されていた。
あとはというと何とは無い話や今日あったことを報告する。
今日は朝から、何時からか住み着いていた白いネコ(勝手にアルファと名付けた)が朝食にと用意した目玉焼きをとっていったこと、外界との通信手段である必要最低限のデータが入った箱の調子が悪くなったこと。
あとは何を話しただろう。
話す、というよりもこちらが一方的に言うだけで向こうはいつも簡単に相槌を打つくらいの、本当に素っ気ないものだった。
初めの頃は日を追う毎に、このコードの先には誰も居ないのではないかと疑う事もあった。
けど、それにも慣れてしまった。
この小さな箱庭で毎日過ごしていると、何不自由なく生活出来ているのだから何も問題はないのだ、そう思うようになった。
確かにここには他の人は居ない。
アルファくんと、データの入った世界と繋がる箱。
そして、この世界の他の場所にいるだろう人と声を交わすことが出来る、ボタンががついた機械。
それだけが世界を創っていた。
だから他に何か在ろうと無かろうと、現状無くとも生活出来ているのだ、必要とする理由がない。
ただ時々、自分と同じような生き物に会って面と向かって会話してみたいと思う心は生き続けた。
足元に擦り寄ってきた、アルファくんを抱き上げる。
冷たい冷たい、床のように冷え切っていた。
自分が冷たいのかアルファくんが冷たいのか。
確かめる術も理由もなかった。
--時々、貴方は本当に居るのかを疑ってしまう
受話器の向こう、一瞬だけ息が止まった気がした。
今までとは違う反応。質問はしてもよかったのだろうか。
長い沈黙。どちらが何を言うでもなく、ただ冷え切った部屋の壁に掛けられた時計だけが音を止めなかった。
「……おやすみ、また明日」
ガチャン、といつもより感情的な切り方にどうして良いかわからなかった。
なんとなく、胸をギュッと掴まれたような苦しさがじわりと広がった。
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(いつもより、最後の言葉が遅いから……“誰か”は居るんだ…)