Moon_and_sun
出逢
それは、終わりのはじまり。
「…、あ」
「あら、起きた?」
声の方に顔を向けると、美波が椅子に座ってハードカバーの本を膝に乗せている。
「また…?」
「そ、貧血。ちょっとは遠慮してほしいわよねぇ」
身が保たないわ、と苦笑混じりに言う。
ベッドに横になっているのに眩暈がして、長く息を吐くと、細く華奢な指が労るように頬を撫でた。
酷く喉が渇いている。
綾は掠れそうな声で呟く。
「…夢、見てた」
「夢?」
「うん…高瀬さんと、初めて会ったときの夢…」
ぱたん、と音を立ててハードカバーが閉じられた。
***
「吸血鬼…?」
「そう!ある日突然貧血で倒れて、気付いたら首に噛み跡が残ってるんだって!」
「…都市伝説?」
興奮気味な友人に、綾は首を傾げてみせた。
「口裂け女みたいなやつ?」
「違う!本当にいるんだって!しかもちょーイケメンらしい!」
最後に付け足された情報に、綾は思わず吹き出す。
我慢できず笑い始めた綾に、友人は拗ねてみせる。
「ふ、あははっ…ごめんごめん、怒んないで」
「謝る気ないでしょ!」
そのときはまだ、ただの怪談話か都市伝説程度にしか思っていなかった。
あの人に会うまでは。
――遅くなっちゃったなぁ…
資格試験の特別講座を終えて、綾は暗くなり始めた道を少し足早に歩く。
綾の通う大学から一人暮らしのアパートまで徒歩で二十分ほど。
その途中に、小さな診療所がひとつある。
大学に入りたての頃、体調を崩しがちだった綾はこの小さな診療所の世話になっていた。
親元を離れ、見知らぬ土地で不安だった綾と世話好きなその女医は自然と仲良くなった。
――久しぶりに覗いてみようかな
受診時間は過ぎていたが、ガラス張りのドアからは明かりが漏れている。
綾はドアを開けて中を覗き込んだ。
「こんにちはー…」
受付のカウンターにはいつもいる事務の年配の女性の姿はない。
見慣れた廊下を進むと突き当たりに診察室へのドアがある。
少し開いたドアの向こうに、小柄な白衣姿が見えた。
「美波さん」
「あら、綾ちゃんじゃない。久しぶりね」
「うん、久しぶり。ごめんね、勝手に入ってきちゃった」
ドアをノックしながら顔を覗かせると、優しい笑顔で迎えられる。
綾が診察室に入ると、室内を二つに仕切るカーテンを後ろ手に引いて、ベッドの置かれた向こう側は見えなくなる。
カーテンが閉じられる直前、ベッドの上に黒い影が見えた気がした。
「いいわよ。どうしたの?また体調悪いの?」
「ううん、元気だよ。久しぶりに美波さんに会いたくなって」
美波は綾の言葉に嬉しそうに笑って椅子を勧める。
綾は閉じられたカーテンに目を向けながら遠慮がちに座る。
「…もしかして誰かいた?」
「ううん、大丈夫よ」
優しい笑顔に、綾は肩の力を抜く。
しばらく世間話をしていると、やはり誰かいたのか、カーテンの奥から物音がした。
「…?」
「…起きたかしら」
ちょっとごめんね、と美波は席を立つとカーテンを少し開けて覗き込む。
「たかせく、…あっ、綾ちゃん後ろ!」
美波の焦った声とほぼ同時に大きな手に肩を掴まれた。
服の上から触れられたその手は素肌に氷を滑らせたような冷たさを纏っていた。
その冷たさとは別に、背筋に冷たいものが走る。
低く無感情な声が耳元で響く。
「…悪いな」
「え…?」
首筋に風が当たり、それが吐息だと気付いた瞬間に鋭い痛みが走る。
「いっ、なに?!」
逃げようともがく綾の体を後ろから抱きしめるように拘束する腕は、どこか優しいのにびくともしない。
生温かい濡れた舌が首筋を這い、綾の耳元でごくり、と誰かの喉が鳴る。
「い、やぁ…」
「綾ちゃんっ!」
美波の焦った声がどこか遠くに聞こえた。
必至に首を巡らせて振り返って見たのは、ぎらぎらと濡れた血を零したような赤い目。
指先が冷たくなって、眩暈を起こしながら、訳も分からないまま綾の意識はそこで途切れた。
「…、あ」
「あら、起きた?」
声の方に顔を向けると、美波が椅子に座ってハードカバーの本を膝に乗せている。
「また…?」
「そ、貧血。ちょっとは遠慮してほしいわよねぇ」
身が保たないわ、と苦笑混じりに言う。
ベッドに横になっているのに眩暈がして、長く息を吐くと、細く華奢な指が労るように頬を撫でた。
酷く喉が渇いている。
綾は掠れそうな声で呟く。
「…夢、見てた」
「夢?」
「うん…高瀬さんと、初めて会ったときの夢…」
ぱたん、と音を立ててハードカバーが閉じられた。
***
「吸血鬼…?」
「そう!ある日突然貧血で倒れて、気付いたら首に噛み跡が残ってるんだって!」
「…都市伝説?」
興奮気味な友人に、綾は首を傾げてみせた。
「口裂け女みたいなやつ?」
「違う!本当にいるんだって!しかもちょーイケメンらしい!」
最後に付け足された情報に、綾は思わず吹き出す。
我慢できず笑い始めた綾に、友人は拗ねてみせる。
「ふ、あははっ…ごめんごめん、怒んないで」
「謝る気ないでしょ!」
そのときはまだ、ただの怪談話か都市伝説程度にしか思っていなかった。
あの人に会うまでは。
――遅くなっちゃったなぁ…
資格試験の特別講座を終えて、綾は暗くなり始めた道を少し足早に歩く。
綾の通う大学から一人暮らしのアパートまで徒歩で二十分ほど。
その途中に、小さな診療所がひとつある。
大学に入りたての頃、体調を崩しがちだった綾はこの小さな診療所の世話になっていた。
親元を離れ、見知らぬ土地で不安だった綾と世話好きなその女医は自然と仲良くなった。
――久しぶりに覗いてみようかな
受診時間は過ぎていたが、ガラス張りのドアからは明かりが漏れている。
綾はドアを開けて中を覗き込んだ。
「こんにちはー…」
受付のカウンターにはいつもいる事務の年配の女性の姿はない。
見慣れた廊下を進むと突き当たりに診察室へのドアがある。
少し開いたドアの向こうに、小柄な白衣姿が見えた。
「美波さん」
「あら、綾ちゃんじゃない。久しぶりね」
「うん、久しぶり。ごめんね、勝手に入ってきちゃった」
ドアをノックしながら顔を覗かせると、優しい笑顔で迎えられる。
綾が診察室に入ると、室内を二つに仕切るカーテンを後ろ手に引いて、ベッドの置かれた向こう側は見えなくなる。
カーテンが閉じられる直前、ベッドの上に黒い影が見えた気がした。
「いいわよ。どうしたの?また体調悪いの?」
「ううん、元気だよ。久しぶりに美波さんに会いたくなって」
美波は綾の言葉に嬉しそうに笑って椅子を勧める。
綾は閉じられたカーテンに目を向けながら遠慮がちに座る。
「…もしかして誰かいた?」
「ううん、大丈夫よ」
優しい笑顔に、綾は肩の力を抜く。
しばらく世間話をしていると、やはり誰かいたのか、カーテンの奥から物音がした。
「…?」
「…起きたかしら」
ちょっとごめんね、と美波は席を立つとカーテンを少し開けて覗き込む。
「たかせく、…あっ、綾ちゃん後ろ!」
美波の焦った声とほぼ同時に大きな手に肩を掴まれた。
服の上から触れられたその手は素肌に氷を滑らせたような冷たさを纏っていた。
その冷たさとは別に、背筋に冷たいものが走る。
低く無感情な声が耳元で響く。
「…悪いな」
「え…?」
首筋に風が当たり、それが吐息だと気付いた瞬間に鋭い痛みが走る。
「いっ、なに?!」
逃げようともがく綾の体を後ろから抱きしめるように拘束する腕は、どこか優しいのにびくともしない。
生温かい濡れた舌が首筋を這い、綾の耳元でごくり、と誰かの喉が鳴る。
「い、やぁ…」
「綾ちゃんっ!」
美波の焦った声がどこか遠くに聞こえた。
必至に首を巡らせて振り返って見たのは、ぎらぎらと濡れた血を零したような赤い目。
指先が冷たくなって、眩暈を起こしながら、訳も分からないまま綾の意識はそこで途切れた。
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