幼馴染み
悲劇
昭和六十二年、八月十五日の五時五十分頃、川の下流で父は発見された。
溺死だった。
母は私を花じいに預けて父の方へ走って行った。
すぐに母の泣き声が耳に入りその声を聞いて、私もまた泣き出したことを覚えている。
父の葬式は母の実家で行われた。
父方の爺ちゃん、婆ちゃんともに私に『大丈夫だからね。』と声をかけてくれた。
というより村の人も『大丈夫』としかいわなかった。
お通夜が終わり、寝ている私の部屋に入ってきた母は包丁を持って立っていた。
それに気づいた私は起き上がり、母に何故か『ごめんなさい』と言った。
それを聴いた母は、包丁を落とし私を強く抱きしめた。
『母さん。怒らないの?』と聞くと、母は『怒らないよ。ごめんね。ごめんね。』と私を抱きしめながら泣いていた。
次の日朝起きると、台所にいる母は笑って『真ちゃん。おはようございます。』と言った。
私も『おはようございます。』と笑って言った。
溺死だった。
母は私を花じいに預けて父の方へ走って行った。
すぐに母の泣き声が耳に入りその声を聞いて、私もまた泣き出したことを覚えている。
父の葬式は母の実家で行われた。
父方の爺ちゃん、婆ちゃんともに私に『大丈夫だからね。』と声をかけてくれた。
というより村の人も『大丈夫』としかいわなかった。
お通夜が終わり、寝ている私の部屋に入ってきた母は包丁を持って立っていた。
それに気づいた私は起き上がり、母に何故か『ごめんなさい』と言った。
それを聴いた母は、包丁を落とし私を強く抱きしめた。
『母さん。怒らないの?』と聞くと、母は『怒らないよ。ごめんね。ごめんね。』と私を抱きしめながら泣いていた。
次の日朝起きると、台所にいる母は笑って『真ちゃん。おはようございます。』と言った。
私も『おはようございます。』と笑って言った。