ボレロ - 第三楽章 -
第三楽章
1. rinforzando リンフォンツァンド (急に強く)
その日を珠貴と一緒に過ごすことができたのは、幸運だったと言えるだろう。
突然降りかかった事態により、しばらく安息の時は望めないとわかっていたら、
もっと密な時間を過ごしたのにと今は後悔の念が募るが、何も知らずにいた
からこそ、ゆるやかなひと時を過ごせたのだ。
また、彼らが私たちの友人であったことも幸運であり、苦難の中で救いに
なった。
私と珠貴は、これまでにない大きな波に立ち向かおうとしていた。
その夜の珠貴は、一足先に秋をまとったような装いだった。
「季節に敏感だね。君の服に秋を感じるよ」 と感じたままを口にすると……
「そんなに褒めてくださらなくてもけっこうです」
私の言葉に一瞬嬉しそうな笑みを見せたが、素直でない顔はツンと横を向いた。
先日、須藤邸の庭の管理を任されている北園親方の力を借りて、珠貴の母へ接触を試みた。
思惑通りにことがはこび、彼女の母親との偶然を装った対面が叶い、珠貴との交際を匂わせる言葉を告げることができた。
私としては満足な結果であったが、珠貴にとっては納得のいかない出来事だったらしく、「どうして私に黙ってたの」 と会うたびに責められていた。
黙っていたのは、君に余計な緊張を与えないためだったと説明しても、彼女の理解を得ることはできなかった。
食事に誘っても 「いいのよ、そんなに機嫌を取らなくても」 と、とりつくしまもなかったが、羽田さんが君に会いたがっていたと伝えると
「そうねぇ、ご無沙汰していましたものね……」 と、不承不承というように了解してくれたのだった。
私たちが出会った頃、初めて食事をしたのが 『シャンタン』 だった。
珠貴に助けてもらった礼のための会食だったが、あれからどれくらいたっただろう。
オーナーでありながらギャルソンを務める羽田さんは、初めて珠貴を同行した
日から彼女を 『特別大事な客』 と位置づけてくれている。
いつだったか、羽田さん自身の口から 「須藤珠貴さまは、魅力的な方でいらっしゃいます」 と伝えられた。
珠貴には、そこにいるだけで醸し出す空気があると言う。
人物評価としては抽象的ですねと言うと 「特別な気品をお持ちです」 と返事をした羽田さんの表現は、やや具体的になったが、それでもまだ、羽田
さんの言いたいことの半分もわからなかった。
だが、彼が珠貴に対し、常に最高のもてなしを心がけているということは、そばにいて感じられるのだった。
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