ボレロ - 第三楽章 -
けれど、いまの私は違う。
自分の意思で物事を見極め、決断を下す。
もう彼女の言葉に惑わされたりしない。
平然としている私に何か言わなければと思ったのか、私が知らなくてもいいと
言ったにもかかわらず、彼女はまた話をはじめた。
「いつでしたか、副社長が接待でゴルフにお出かけになり、そのあとお目にかかり
ました。室長がお友達のみなさまとご一緒に過ごされた休日だったと、記憶して
います」
「お休みの日ですか? いつかしら……」
私は 「その日」 をすでに特定していたが、思い出せない顔をしてみせた。
浅見さんが何を言い出すのか興味があったのだ。
「『筧』 へお出かけになられた日です。お昼をお友達のみなさまと過ごされて、
前島さんの代理で私がお迎えに参りました。
実は、そのまえに副社長にお会いして、お話を伺っておりました」
「思い出したわ……でも、お忙しい浅見さんを呼び出すなんて、彼も困った人ね」
「……そのときは、浜尾もご一緒しておりましたので」
「そう、浜尾さんにもご迷惑をおかけしたのね。浜尾さんにもお詫びをお伝えしな
くてはね」
「いえ、あっ、それでは副社長がお困りになられます。
私からお聞きになったことは、胸に収めていただけないでしょうか」
「そうでした、これは秘密のお話でしたね。ごめんなさいね、私も気をつけなく
ては」
彼女は決定的なウソを口にした。
『筧』 に行った日、浅見さんは私が誰と一緒にいたのか知っていたのだろう。
けれど、真琴さんが遅れて参加したとは知らなかったようだ。
彼女の証言によると、宗がゴルフ接待の日、浅見さんを呼び出して真琴さんととも
に相談事を受けたということになる。
だが、あの日は 『筧』 で友人たちと食事をしたあと、真琴さんと一緒にいたのは
私なのだ。
そして、真琴さんと入れ違いに宗にも会っている。
宗や真琴さんが、浅見さんと一緒にいることなど不可能だった。
彼女の口はまだ動いていたが、私の耳はその言葉を拾ってはいなかった。
『俺に会ったと、誰にも言ってはいけない』
宗の言葉が、こんなにも重く意味のあるものだったとは……
彼女の言葉から惑わされていた虚偽が浮かび上がり、見えなかった真実が見えて
きた。
人の興味とは予期せぬ方向へ向かうものなのか。
近衛副社長の本命の恋人は、浅見秘書ではないかとの憶測が流れはじめた。
かつて、副社長の婚約者候補であった噂が発端になり、
『浅見秘書は副社長との交際を反対され、近衛を辞めなければならず、現在は
『SUDO』 の専務秘書になっている。だが、二人の仲はまだ続いており、密かに
会っている……』
と、こんな噂が社員の間で広まっていた。
浅見さんはますます注目されることになり、業務に差し支えるまでになっていた。
わずらわしさからか、浅見さんの顔には険しさが増していた。