ボレロ - 第三楽章 -


『一枚の写真は、誰の言葉よりも雄弁です』


堂本さんの言葉通り、写真の反響は予想以上だった。

友人、親族などの反応は予想にたがわなかったが、雑誌を見た人々から、



「大変な思いをされましたね。近衛さんがご一緒で心強かったでしょう」 


「ご無事でなによりでした」



このように好意的な言葉が寄せられた。

写真の構図はいかにも親密な関係をあらわすものなのに、私たちへ向けられた目は興味本位の関心ではなく、
二人の交際が事実なら静かに見守ろうではないか……といった温かいものだった。 

掲載される雑誌により、こんなにも反応が違うものなのかと驚くばかりだ。


漆原さんが写真を持ち込んだのは、写真誌や週刊誌ではなく経済誌だった。

役目を終えるビルで行われた 『さよならパーティー』 でトラブルがあり、屋上に取り残された人々がいたが、ビルの屋上にはヘリポートが設置されており、夜間飛行への対応があったため人々の救出にいたったのだと、安全面の管理を中心とした記事構成になっていた。

記事の中で 「近衛宗一郎氏は、危機的状況の中で冷静に対応した人物」 として紹介された。

その記事に添えられたのがヘリコプターから降りた私たちを写した一枚で、同じく夜間飛行に対応したヘリポートを設置していたホテルとして、狩野さんの 『榊ホテル 東京』 が載っており、撮影地と撮影者も記載されていた。

漆原さんは、私たちの写真を交際を公表するためではなく、安全管理の提唱に置き換え、間接的に世間に流す方法をとったのだった。

掲載先が経済誌であったため、ビルのオーナーである今川会長は 「先進的な安全管理を行った」 人物と紹介され、『榊ホテル 東京』 は 「緊急の要請に対応した側」 として評価があり、写真を撮影した漆原琉二カメラマンは、経済誌初登場となった。

写真は両方の屋上の様子を撮影した数枚と、私と宗が降り立った一枚からなり、記事の構成は 「安全管理」 を取り上げたものになっている。

週刊誌ならスクープになっただろう写真は、見事に記事に溶け込んでいた。



記事を目にした父から特に言葉はなかったものの、その口元は満足そうなカーブを描いていた。

よもや掲載が経済誌とは思わなかったのだろう、ゆるやかに動いた口は 「こうきたか」 といいたかったに違いない。

母はというと 「また騒ぎになるのよ。どうするんです!」 と叔母たちの攻撃にさらされる心配をしていたのだが、
「お嬢さま、大変でしたのね……ご無事で何よりでした」 といった周囲の同情的な反応に戸惑いながらも、ホッとしている様子だった。


写真の掲載と宗との交際を父に告げた夜から、数日たっていた。

あの夜、写真の掲載は承知してくれたが、私たちの交際を聞いても賛成も反対の言葉もなく、父の気持ちが非常に気になるところだ。

父の様子から、故意に話題を避けているのだろう、時間をおいて尋ねたほうがよさそうだと判断したのだが、話を終えて部屋を出ようとした私へ 「おまえは気持ちを決めたのか……」 と突然聞かれた。

結婚の意志を確かめたのだとわかり 「はい」 と返事をしたが、それについて反応はなく、「写真のことは、お母さんにも話をしておくように」 とだけ言われた。

父に宗をどう思っているのかと聞いてみたいが、今の私にはその勇気はなかった。

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