ボレロ - 第三楽章 -
それからまた一時間ほど走り、ようやく車は止まった。
降りるように言われ、ドアを開け車の外に立った。
狭い空間から解放されたこともあり、冷たい空気が心地良かった。
大きく伸びをした私を見て、浅見さんが呆れた顔をした。
「よく落ち着いていられますね。あなたは自由を奪われているんですよ」
「そうみたいね。だけど、いまさら騒いでもどうにもならないでしょう?
私はあなたの話を聞きたいからついてきたの。本当のことが知りたいだけ。さぁ、行きましょうか」
変わった方ですね、といぶかしげに私を見ていたが、こちらですと行き先を示し歩き出した。
蒔絵さんに託したメッセージが支えとなり、私は落ち着いていた。
連れて行かれたのはマンションの一室で、男性の部屋のように思われた。
部屋の住人は留守にしているのか、人が住む気配はなく寒々とした空間だった。
エアコンをつけたがなかなか部屋は暖まらず、ひんやりとした空間に空調の機械音と私たちの声だけが
響いている。
「男の方のお部屋みたいだけど、浅見さんがお付き合いしている方かしら」
「さぁ、どうでしょう」
質問には答えず、キッチンから運んできたペットボトルと軽食をテーブルの上におくと、私に食べるように勧めてきた。
出された食事に手をつけずにいると 「毒など入っていませんからどうぞ。明日まで持ちませんよ」 と言う。
「もう少し豪華な食事を期待していたのに、当てがはずれたわね。確かに静かな場所ではあるけれど」
「ワインならありますよ。いかが?」
「いえ、けっこう。酔ってしまっては逃げ出せなくなりますから」
「私と話をしたいと言ったではありませんか。逃げ出したら何も聞けなくなりますよ」
「そうね。ふふっ、そうだわ」
浅見さんの自信に満ちた対応に、逃げ出すのは無理だと悟った。
ペットボトルのふたを開け、ひと口大にちぎったベーグルを口に入れると、流し込むように水を飲んだ。
食事をしたい気分ではなかったが、空腹を満たしておく必要がある。
二つ目のパンに手をのばしながら、無言のまま食事をしている彼女に問いかけた。
「お聞きしてもよろしい?」
「どうぞ」
「私があなたを疑っていると、いつ気がついたの?」
「そうですね……あなたが、私の言葉を信用しなくなった頃でしょうか。わかるんですよ、信用されているのかいないのか。
では、私からお聞きします。私が疑わしいと思ったのはいつですか」
「あなたと彼の、ホテルラウンジの密会写真が雑誌に載った時かしら」
「私が副社長を誘惑したとでも?」
「いいえ。あの夜、あなたは彼に送ってもらったと言ったわね。でも、それは絶対にないの。
彼と私は、あのとき一緒にいたんですから」
「まぁ、そうでしたか。あはは……それは存じませんでした」
高笑いとともに答える浅見さんに、底知れぬ不気味さを感じた。
この余裕はどこからくるのだろう。
浅見さんは私を 「室長」 とは呼ばなくなっていた。