ボレロ - 第三楽章 -
「中島さんが弟さん?……中島さんはあなたと同期のはず」
「私は大学を一年休学しているから同期入社なの。でもね、最初は気がつかなかった。
弟と別れたのは小学生のとき、面影もほとんどなくて……名前を見つけて驚いたわ」
幼い頃両親が離婚して、父親は弟を母親が浅見さんを引き取ったのだという。
両親の離婚後会うことのなかった姉と弟は、それから時々会うようになり、食事をしながら近況や仕事の様子を報告しあった。
会社の同僚は誰も姉と弟であるとは思わず、二人は交際しているのではと噂されていたと話す浅見さんは、このときばかりは穏やかな目を見せた。
「私がアメリカ支社に転勤になった頃よ、浜尾課長が弟の上司になったのは」
「彼には弟さんのことは?」
「言ってないわ……知らないから、あんなことができたのかもしれないわね。
私から聞いた話を記事にして、責任は部下に押し付けて、自分はのうのうと過ごして……
中島聡史が私の弟と知っていたら躊躇したかも……いいえ、してないわね」
浅見さんが帰国後 『SUDO』 へ出向になったのは左遷だ、君の仕事の活躍の場を奪ったんだと吹き込んだのは浜尾課長で、君には副社長の相手にとの話もあったのに、それを阻止したのが浅見さんの上司だった浜尾真琴さんだと言われた。
自分を広報の課長からはずすように叔父に進言したのも浜尾真琴だ。
近衛グループに浜尾家の人間は大勢いるのに、なぜ自分だけ不遇な目にあうんだ、浜尾家の人々を見返してやりたい、けれどひとりの力では限界がある、手伝ってくれないかと言われた。
宗から聞いたことがある、浜尾家のみなさんは代々近衛家に仕えていると……
社員に浜尾姓は多く、彼らはみな真琴さんの親族に当たる人々ということだ。
「課長が内部事情に詳しいのはわかっていたし、彼の言うことに間違いはないと思ったわ。
近衛グループで大きな力をもつ浜尾一族が、中島聡史から仕事を奪い、今度は私を追い出そうとしている。
そんな理不尽なこと絶対に許せないと思った……だから課長の誘いに乗ったの。
でもね、彼は私の思惑とは少し違っていたわ。
叔父の部長への仕返しもあったでしょうけれど、なにより優秀な従姉妹の浜尾真琴が目障りだったのね。
でも、狙う相手は同じ……
『SUDO』 へ行ってまもなくだった。
副社長のスケジュールがわかるようになって、複数の女性に会う日時を知った。すぐ課長に知らせたわ、副社長のスキャンダルになりそうよってね」
「それが写真週刊誌の記事につながった……」
「課長は、叔父や真琴が誰よりも大事にしている副社長を陥れようと言い出したの。
あとは彼の言うように動いて、彼のために働いて……
何もかも上手くいっていたある日、彼が何気なく言ったの、中島もついてないヤツだったって。
アイツのおかげで命拾いしたけどな……って。
責任逃れに弟を追い詰めたのが彼だと知ったわ。
その日からよ、私の目標が変わったのは」
「どうしてそこでやめなかったの? あなただって危険を伴うのよ」
「すべてに仕返しをしようと思ったのよ。浜尾の一族にも、彼らの存在を許している近衛にも……
失敗をしても一族の誰かがかばって、それがまかり通って……責任を問われると彼らは逃げるのよ。
今夜だって来ないじゃない。また逃げたのよ」
「浜尾課長、ここにくるはずだったの? あっ、浜尾さんも一緒だからと言ったのは、彼のことだったの……」
「そうよ。あなたたちの写真が出て、身動きが取れなくなって、この先どうしたらいいのか相談するつもりだった。
須藤のお嬢さんに直接会って、取引でもするしかないだろうと彼が言ってきたの。
それなのに、今夜は忙しい、行けたら行くなんて、のらりくらりとかわすばかり」
「浜尾課長は、私がここにいることを知っているの?」
「えぇ、彼があまりにもハッキリしない態度だからこう言ったの。ご希望通り須藤珠貴さんを呼んだわよ。
彼女と取引をしましょうってね。
そしたら彼、あわてて取引は苦手だ、あとは君に任せたって言うのよ。
何を任せるつもりかしら。あんな男の言葉を信じていたなんて、私がバカだったのよ」
「だから私に何もかも話してくれたのね……」
そのときだった、部屋の外で大きな音がした。