ボレロ - 第三楽章 -


禁煙の声が大きく叫ばれる昨今、喫煙所を利用する人の数は年々減少している。

副支配人の狩野をはじめ従業員に愛煙者が多いことから、ホテルの喫煙ルームはなくならないだろうと思っていた。

ところが、彼も子どもの誕生を機に禁煙したと聞き、全館禁煙もそう遠くないのだろうかと、そんなことを考えていたところに私服に着替えた狩野が現れた。 

頭をかきながら、しまったという顔をしている。



「禁煙したんじゃなかったのか」 


「禁煙宣言したんだが、なかなか難しいもんだな。仕事が立て込むと吸わずにはおられない」


「娘に匂いを嫌がられない程度にしておけよ」


「嫌われてたまるか」



互いに二本立て続けに吸ったところで狩野は落ち着いたようだが、私が三本目の煙草に火をつけるのを見て、長年の友人は私の心を読んできた。



「なにもかも解決……ということにはならなかったようだな」


「あぁ……」


「珠貴さんのお母さんに反対されたのか」


「いや」


「須藤社長が反対なのか。近衛をずいぶん高く評価してたじゃないか。まさか」


「仕事は評価してくださったが別の次元だ。結果的には反対なんだろう」


「どういう意味だよ」


「娘を須藤の家から出すつもりはないと、きっぱり言い渡された」


「なに? 養子ならいいのか」


「そういうことだろう」



私が煙を大きく吐き出すのと同じく、狩野の口からも大きなため息がもれた。

おまえには難しい問題だなと言いながら、気の毒そうな顔で私を見た。



「わかってはいたが正面きって言われるとなぁ。こればかりは、俺にはどうにもならない」


「近衛家には潤一郎もいる。それで条件を突きつけたんじゃないのか?」


「さぁ、どうだか。俺が気に入らないのかもしれない」


「そんなことはないだろう! 珠貴さんを救い出したんだぞ。
今回だけじゃない、去年の誘拐事件だっておまえが解決したようなものだ。
須藤社長は、それを知った上で断ってきたのか」


「今回の事はまだしも、去年の経過はご存じないはずだ」


「なぜ言わない。近衛宗一郎は須藤家にとって娘を救った恩人だ。
感謝されこそすれ、嫌われるはずがないだろう」


「お嬢さんを助けたのは私です。ですから結婚させてくださいとでも言えってのか? そんなこと言えるか……」


「そうだが……」



私の言葉を聞き顔をゆがませた狩野は、ポケットにしまった煙草をふたたび取り出し火をつけると乱暴に煙を吐き出した。

私のために腹を立ててくれる友人の姿が嬉しかった。



「それで、珠貴さんはなんと言ってる。珠貴さんのことだ、許してもらえないのなら家を出ますとでも言い出すんじゃないか?」


「これまでの珠貴ならそう言っただろうが、今回は少し違っている。
こんなことを言われたよ。登れない山はない、壁があれば壊せばいい、溝は飛び越えればいいと言ってた」


「女ってのは強いね。飛び越えろか……男は石橋を叩くだけで精一杯だ」 
 


妙に納得した顔をしていたが、胸ポケットの振動に気がつき電話に出ると即座に仕事の顔になった。

わかった……と対応して 「ひとつ仕事を済ませてからシャンタンに行く。おまえも遅れるなよ」 と、友人らしい伝言を残し喫煙所を出て行った。

狩野との会話を反芻しながらその背中を見送っていたが、気を取り直し吸いかけの煙草を消した。

珠貴がいたら顔をしかめそうな大きなため息をついてから、エレベーターホールへと向かった。


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