ボレロ - 第三楽章 -


『シャンタン』 に大きな笑い声が響くことなど、いままであっただろうか。

会員制のレストランは常に静かな空間で、最高のもてなしをうけながら一流の料理を楽しむための場所であり、大声や笑い声などもってのほかである。

これは 『シャンタン』 を利用する客の暗黙の決まりごとだ。

それが今夜はどうだろう、声の大きさなど気にしない会話と軽やかな笑い声が絶えず続いている。

親しい顔が並ぶテーブルはいつになく賑やかだったが、ひとつだけ心を曇らせる出来事があった。 

ひととおりの食事が済むと 「お先に失礼いたします……」 と言い残し浜尾君が退席していった。

「送ります」 という櫻井君の言葉にも首を振り、ひとり彼女は帰っていったのだった。



今回の騒動に従兄弟である浜尾直之課長の関与が明らかになり、彼女のみならず浜尾家の一族に衝撃が走った。

代々近衛家に仕えてきたことは誇りである、とまで言っていた長老格の浜尾君の祖父は、一族のひとりが引き起こした騒動に重く責任を感じたのだろう、心労が重なり入院した。

社内各部署に配置されている浜尾家に連なる者も、それぞれに責任を感じ、浜尾課長が起こした騒動を我が事のようにとらえ反省しているという。

真面目に勤めてきた者が大多数であり、浜尾家なくしては近衛の発展はない、これからも期待していますとの社長の意向も伝えられた。

それでも、彼らが受けた衝撃は私たちが考える以上に大きなものだったのだろう、役職を退く者も出始めていた。


人一倍責任感の強い浜尾真琴にとっても従兄弟が起こした問題は人ごとではなく、心に暗い影を落としていた。

ましてやこの席には直接被害をこうむった珠貴や、事件解決に奔走した面々がそろっているのだから、彼女にとって安らぐ席ではなかったとは思うのだが、浜尾君と事件とは無関係であり、彼女に責任があるなどと考える者などいないことは、浜尾君自身が一番わかっているはずだ。 

けれど、人の気持ちと言うのは単純なものではない。 

友人たちも浜尾君も、互いを気遣いながらの時間を過ごしていたが、先に帰るという浜尾君を誰も引き止めることはできず、帰る背中をみなが無言で見送った。


今夜のパーティーへ、参加をためらっていた彼女を誘い出したのは珠貴だった。

浜尾君が乗ったエレベーターを見つめながら、無理に誘ってしまった、真琴さんに辛い思いをさせてしまったと自分を責めていたが、それは珠貴のせいではない。
  
しばらくそっとしておこう、と塞ぎこんだ珠貴の顔に言うと、うん……とだけ返事があった。

力なく丸まった背中を押しシャンタンの中へ戻った。



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