ボレロ - 第三楽章 -
真夜中のパーティーから数日後、私はまた 『シャンタン』 にいた。
今夜の予定はあらかじめ決まっていたもので、友人たちとの定例会だ。
『シャンタン』 のギャルソンであり、我々の会の臨時顧問でもある羽田さんのはからいだろう、クリスマスディナーの客でにぎわう中、私たちには個室が用意されていた。
個室にほかのフロアスタッフが入ることはなく、羽田さんがすべてのサーブをこなしている。
一連の騒動が解決した慰労会と、来年の会の方針を決めるための集まりというのが名目だが、なんのことはない、気のおけない仲間と最後の忘年会をやろうというのが本当のところだった。
ところが、結末を見たはずの騒動は尾を引いており、解決とは言いがたい状況になっていた。
悪意に満ちた記事が週刊誌に掲載された当日、静夏の受賞のニュースが飛び込んできた。
扱いは大きなものではなかったが、新聞やテレビニュースでも報じられた。
『妻の受賞は喜ばしい事です。繊維に携わるものとして嬉しい限りです。
みなさんに布の良さを知っていただく、またとない機会になりました』
知弘さんのコメントが掲載されたのは女性週刊誌だった。
静夏と知弘さんの経歴も紹介され、好意的な記事構成になっていた。
報道が好意的に扱われたのは、漆原さんの力によるものだ。
すべてが良い方向へと向かっていたはずだった。
ところが、浜尾真琴が辞表を出したばかりか、この二日間で役職にある数名の辞表が出された。
そのすべてが浜尾家につながる者で、長年真面目に勤めてくれた者ばかりだった。
「静夏と知弘さんの醜聞を暴露したつもりが、静夏の受賞のニュースですべてがひっくり返った。
極秘交際や妊娠による慰謝料の請求の事実もない。
すでにふたりは結婚していたのだから、浜尾直之が流した記事は暴露でも何でもなくなった。
アイツは、さぞ落胆しているだろうと思ったんだが……」
年忘れの楽しい会のはずが、冒頭の私の報告のため重い空気が席を包んでいる。
個室の会話が外に聞こえることはなかったが、誰もが声を抑え気味だった。
どうしたんですか? と聞いてきたのは沢渡さんで、私が答えるより先に平岡が忌々しそうに口をひらいた。
「へこむどころか高笑いですよ」
「高笑い?」
「解雇された会社に顔を出しづらいはずなのに、私物を取りに来たといって堂々としてるんです。
まず、それに腹が立ちましたね。そのあとですよ、先輩の顔を見て
”真琴が辞めたそうですね 責任を感じたんでしょうね” とこう言うんです。
”浜尾真琴に責任などない!” と先輩が怒鳴ったら ”アイツの性格なら辞めると思っていた” と言って、高笑いですよ」
「彼女の性格を見越していたということか」
「でしょうね。僕も相当頭にきましたが、先輩は抑え切れなくて」
「胸倉をつかんで言い返したか! それくらいして当然だ。で、どうなった、ガツンと言ってやったんだろうな」
年末の忙しい時期にもかかわらず、勤務時間を調整してやってきた狩野が期待を込めて問いかけたが、 「いえ それが……」 といったまま、平岡が私を見た。
本当のことを言ってもいいのかと目が聞いている。
平岡へ顎をしゃくり了解した。
「ガツンと言うより先に、浜尾元課長の頬に一発ぶち込んで相手をダウンさせました」
「殴ったのか!」
「見事に命中しました。いやぁ、見てるこっちもスッキリしましたね」
「近衛君を怒らせたのか……自業自得でしょうが、殴られたままじゃないでしょう。
彼のことだ、訴えるなんて言い出したのでは?」
「霧島先輩、そうなんです。怪我をさせてすむと思わないでくださいよ、と凄んで脅しをかけてきました。
怪我といっても口を切った程度なのに……でも、浜尾元課長の悪運もそこまででしたね」
続きは先輩からお願いします、と平岡からバトンを渡された。